ホリーズが好きなんだ6!
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ほんとうに御迷惑おかけしましたです。 ホリーズのことを少しだけ知ることができました。 なんとホリーズ=クロスビー・スティルス・ナッシュ(&ヤングだったと思うけど)へと 引き継がれていったとは初耳でした! またトレモローズを検索していたら「イエローリバー」も歌っていたのですが クリスティーというグループではなかったかと・・・これもトレモローズへと 再編成されていったのでしょうか? すれ違いの質問お許しください >youtubeで見たときはかなり腹が出ぱっててかなりお年を召されて 歌っていたのにいくらさがしても見当たらないのはどういうわけだ それを先に言わなきゃ。 この「腹」で、それは違う、とわかったのに。 >>270 クレジットの順番はただのアルファベット順だよーん。 When I'm Not Thereはトニーが単独で作った曲だから前から単独クレジットなんだよーん。 クラーク・ヒックス・ナッシュのクレジットは曲作りに携わった3人に平等に印税が入るように、 クレジット順は序列にならないようにC→H→Nのアルファベットの登場順。 グラルト出版は3人の名前(グレアム・アラン・トニー)の頭を並べて格好良い響きにしただけだよーん。 陰謀厨じゃあるまいし下衆が勘ぐるのはやめなはれですよーん。 >>298 なにが「だよーん」だ、アフォが。 そのアルファベット順のクレジットが入れ替わっている曲があったりするから、もめてるんじゃねえか >>298 270 なんですが、これって、もう発表当時から、単独にしてたんですか? (反論ではなくて、教えてほしいという意味ですが) この曲をあげたのはもちろん、あれはたしかヒックス作品だよね…と思い出した からですが(そんな感じがするよね、と思っていたという意味で。きちんと 調べたわけじゃない)。 私は、当時は共同名義にしていたものも、もうそれぞれに分け始めているのだろうな、 と思っていたのですが。 たとえばWingsですが、インタビューを見ると、これはクラーク・ナッシュ作品だ、と。 だから、整理段階に入ってヒックスは抜けているんだろう、と。 陰謀説じゃなくて。 でも、>>271 でも触れたけど、同じ曲ですら、順番は違うじゃない? 何らかの意図があってやっているんだろうと思うけど、どういう意味があると 思いますか? RADIO FANにおける自作曲のクレジット 02. Jennifer Eccles(Alan Clarke/Graham Nash) 04. I've Got A Way Of My Own(Alan Clarke/Graham Nash/Tony Hicks) 05. Wings(Alan Clarke/Graham Nash) 06. Step Inside(Alan Clarke/Tony Hicks/Graham Nash) 07. Wish You A Wish(Alan Clarke/Graham Nash) 09. Put Yourself In My Place(Alan Clarke/Graham Nash/Tony Hicks) 13. Away Away Away(Graham Nash) 14. Charlie and Fred(Alan Clarke/Graham Nash) 16. Hard Hard Year(Alan Clarke/Graham Nash/Tony Hicks) 19. To You My Love(Alan Clarke/Tony Hicks/Graham Nash) 20. So Lonely(Alan Clarke/Graham Nash/Tony Hicks) 22. Nobody(Alan Clarke/Graham Nash/Tony Hicks) 23. Set Me Free(Alan Clarke/Tony Hicks/Graham Nash) 27. Too Many People(Alan Clarke/Graham Nash/Tony Hicks) 29. Too Young To Be Married(Tony Hicks) 31. Games We Play(Alan Clarke/Tony Hicks/Graham Nash) 従来の表記との相違点 クレジットの入替:04,09,16,20,22,27-6曲(C-N-H Nashが前になる) Hicks外し:02,07,14-3曲(C-N) Clark/Hicks外し:13-1曲(N) 従来通り:05,06,19,23,29,31-6曲(C-H-N) 普通に考えて、共作曲とされている曲における貢献度についてナッシュが強く主張したんだろね それ以外は考えにくい。最初の6枚組でシングル曲がライブでしか収録されなかったのも、 ナッシュが演奏面での取り分を大きく主張したようだしねえ・・・・。どこまでも言いたい放題だな >>301 の人の考えだと、貢献度は、クレジットが先にくるほうが高い、ということ? (あるいは真中に来るのが高い、とか) >最初の6枚組でシングル曲がライブでしか収録されなかったのも、 ナッシュが演奏面での取り分を大きく主張したようだしねえ・・・・。 これはどこから拾った話? >>301 ごく単純な疑問なんだけど。 301の考え方は、 ・共同名義になっていたものは、必ず3人が参加しているはずだ。 だからこの名義の変更はおかしい。 ・共同名義になっていたものも、必ずしも3人が関わっているとは言えない だろう。でも、ホリーズが存続している限り変更するのは道義的に嫌な 感じだ。 このふたつのどちら?それとももっと他の考えがあって、不快なのかな。 私は、 Away Away Awayとかは、ぜんぜんクラークっぽくも、ヒックスっぽくも ないし、ナッシュ単独名義になっても、もういいよね、と思ってしまうが。 (たぶん歌詞なら何語以上とかメロディなら…とか一定の規定があって、それ 整理したんじゃないの、と) クラーク・ナッシュですでに作られていたものを(だからこのふたりの順番はそのまま)、 ヒックスに回してアレンジ…ということを意味しているってことはないかな。 初期だと特に。クラーク・ナッシュ+ヒックス。 まぁそんなこと言っても、同じStop Stop Stop でも順番が違っていたりするから、 やっぱりクレジットの順にどんな意味があるのかよくわからないけど。 必死にナッシュをかばおうとしている所が痛々しくていいねえw かばおうとか、そういう問題じゃないよ。 それより、どっちなの。 どういう基準で、名義が変わっていると不快なの? そんなにナッシュが駄目駄目いっても、ナッシュがいなかったら、ホリーズないし。 ナッシュがいなかったら、アランはフランクを手伝って、男前兄弟で、シルクスクリーンの 印刷屋さんをやっていると思う。 ナッシュの曲って全然グループの曲になってないんだよなあ 結局ナッシュは独りよがりのフォークシンガーって感じ まぁそれはちょっとあるかも。 アランとグレアムはそれまでにもいろんなバンドを試みているけど、ふたりの 意識はデュオだったんだろうなぁと思う。古い写真を見ても、ふたりだけ衣装 も違うし。 Fourtonesの時のデモテープというのを聞いたことがあるんです。 ふたりの声が美しく溶け合ってて、いやぁもうこの段階で、完璧やん? 敢えて言えば、破綻がなさすぎて、きれいすぎて時流と合わないか、という感じ。 グレアムの申し出が、渡米してこれこれの連中と一緒にやろう、ではなくて、 デュオに戻ろうだったら、アランは迷わなかったのでは、と思った。 ポールは実に優れたミュージシャンだが 彼の曲はすぐ飽きるものが多い。 ホリーズの真価は演奏面とアレンジ能力にあるのに 人を惹きつけられない引きこもりな曲しか書けないグレアムが思いっきり勘違いしたのがサイケ期の実態でしょ 才能のあるヒックス・ヘイドック・エリオットが、後に10ccとなるメンバーとグループを組むようになっていれば 本当にビートルズに匹敵するようなグループに成れたのになあ エリックとグレアム(・グールドマン)が加わっていれば、曲もボーカルも完璧だったのに グレアム・ナッシュという無能な人物が世界の音楽史に悪い影響を与えてしまった そういえば10ccの連中は同郷だったな、ハーマンズ・ハーミッツもそうだっけ もしもニック・ロウがホリーズに入っていたら・・・と妄想したことならある >>320 アランクラークが恋のホワン・ホワン歌うの想像してしまったwww >>317 ある程度、わかっている上で無茶を言っているのだとは思うけど。 83年にヘイドックを入れなかったのは、他にも理由はあるんだろうけど、 公式には、エリオットとヒックスが、ヘイドックはモダンじゃないからと発言している。 演奏陣のふたりが、もともとというか、そもそもあんまりヘイドックを買っていない。 グールドマンについても、彼をホリーズに引き合わせた当時のマネージャーは、 コーエンというたぶんユダヤ系の姓だから、ホリーズに人種偏見があったとは でももっと後年なら話は別だが、初期の真っ白けの典型的なイギリス労働者階級の 呑気な兄ちゃん集団のホリーズで、ユダヤ系のグールドマンと気が合うのは、 むしろ異文化好きのナッシュじゃないかな。 またヒックスのアルバム作りに関する発言を読むと、グールドマンとは意見が まるで合わないだろうなと思うよ。 あ、ごめん。ミス投稿。 >ホリーズに人種偏見があったとは の続きは「思えない」。 可能性としてはね、 Genesis Box Set bookletに、Genesがアランを欲しがっていたという記事があるあるそうなんだよ。 私はそれ持ってないんだけど。 In 1975, Peter Gabriel left Genesis, and at first, the group was hamstrung about finding a replacement for him (of course, drummer Phil Collins ended up taking up the role). Initially, the group auditioned scores of people, with below being a list of the well-known candidates... (The phone number listed surely must be invalid by now!!) うまく貼れなかったんだけど、当時のGenesが候補に挙げていた人の名前と電話番号リスト のメモの写真が出てくる。アランを結構、本気で欲しかったようだ。 このことはアランもホリーズも話していないし、もう話すことはないだろうから、 真相はわからない。実際には、ホリーズに復帰して大きなヒットが出ていたから、 持ちかけられなかったのかもしれないけど。 それがどうしてなのか理屈がわからないんだけど、アランは、当然、代表作の LCWをソロアルバムに入れたかったけれど、できなかった。 それができれば戻っていなかったかもしれない。 ホリーズはミカエルで、アランも当面もどらず、そのまま75年を迎えていたら… ミカエルのホリーズが今も続き、殿堂入りの日、アランは違うテーブルに座っていたかも。 こちらのほうが可能性としてはアリで、想像するのも楽しいのでは。 案外、お互いにそのほうが良かったかもしれないし。 67年のサージェント・ペパー発売以降、EMIはポスト・ビートルズを真剣に探し始めている 同年の「青い影」やピンクフロイドなんかもそうだが、エルトン・ジョンやジェントル・ジャイアントをでっち上げたのも 製作側から輸出産業としての音楽をコントロールしようとする試みがそれである ホリーズの68年に、それまでのポップ・ミュージックとは一線を隔す録音物が見られるのも、その過程の一つではないか? プロコルハルム/ピンクフロイド→クイーン/エルトン→アラン・パーソンズ/ストック・エイトキン→レディオ・ヘッズ 実際には特徴のあるプロデューサーにコントロールされているのだが、その功績も全てあやつり人形であるアーチストに集めた上で 高い音楽性とオリジナリティを売りにするといったあざとい商売です。ジェントルジャイアントやパイロットみたいな失敗?例もある >>324 ヘイドックを買ってないというのは主に人格面なんじゃないだろうか もちろんその後音楽の変遷にはヘイドックはついていけなかっただろうから バーニーに交代したのは歴史の必然 >主に人格面なんじゃないだろうか そうだろうね。 それと…ヘイドックは古株なんだから、演奏面ではヘイドックがリーダーシップ をとり、ヒックスとエリオットはそれに従う…はずだったのでは。 だがそういうふうにはならなかった。ヘイドックは居場所を失ったんじゃないかな。 ネットに貼られているヘイドック脱退時の記事を読んでも、なんだかよくわからない。 本人は、健康上の理由と、家庭を持ったので時間が欲しい、ということを何度か話しているが。 どちらにしても絶賛売り出し中のグループで、それは無理な話。 「子供ができ、家にいたいということをグレアムやアランにもよく相談したのに、結果として 辞めることになり、だまされたようなものだ。アランにも同じ時期に子供ができたのだから、 もっと気持ちを汲んでくれてもいいのに」と、ずいぶん、恨んでいるようなことも言っている。 >>331 アランは専業ボーカリストだし、ナッシュはお花畑ソングの作曲に夢中になる中 必然的に演奏面でのリーダーシップはヒックスがとるようになり、 エリオットはヒックスの肝いりで連れてきたドラマーだから ヘイドックの立場が微妙になるのはわかる気がする DVDの中で、ヒックスとエリオットはヘイドックの脱退について言及していな かったと思う、あれは逆に、かなりもめていたのかもしれない。 >ナッシュはお花畑ソングの作曲に夢中になる中 66年の段階でそれを言い出したら…と言ってみる。 いずれにしても、ヘイドックを安易に切ったわけではなく、彼が現場に来ない ことで、キャンセルせざるを得ない仕事がかなりあった。 その上で、逆恨みしているようでもあり、人格面で問題が…と思うよね。 >エリオットはヒックスの肝いりで連れてきたドラマーだから エリオットが…実は常にキーパーソンなのかもしれない。 ファンフォーラムで、実は67年にヒックスの交代メンバーとして、北欧の ミュージシャンが打診を受けていた(成立しなかった)という記事があった。 ヒックスタイプのキュートボーイ系の容貌(もう少し男の子っぽいハンサム)、 ハイトーンボイスの左利きギタリスト(ハイトーンである必要はないかもしれないが)。 だが67年に何が?と疑問。 エリオットが盲腸こじらせて長期入院しか思い出せない。 続き。 ヒックスのほうが辞めるという選択肢は、これまでぜんぜん無かったのかな、 と思ってさ。それであちこち検索していたら、あった。 もちろん、ホリーズ側はそれについて何も発言しておらず、北欧の某ミュージシャン が回想としてしゃべっているだけなんで、真相はわからないけど。 ボビーが不在だと、辞める〜という話も起こるんだ、と。 わりと最近のボビーのインタビューで、 SURVIVAL OF THE FITTESTのタイトルは、 ボビーが考えたものだと話していた。 3人の共作の終わりごろのことで、歌詞にはそんなフレーズは出て来ないが、 そばで眺めていたボビーが申し出たんだそうだ。 後ろで見ているボビーには早くから構図が見えていて、ヒックスをTHE FITTEST にする覚悟ができていたのかなぁと思った。 DVDにもプライベート映像が出てくるけど…youtubeには他にもいろいろあるよね。 そういうのを見ていると、ボビーはまんべんなく、どのメンバーにもよく声を かけたりしているんだよ(逆にクラークとヒックスが話したり、何かふざけたり しているものはきわめて少ないと思う)。 で、ホリーズのキーパーソンは実はボビーなんだろうな、と思っている。 90年代にウェンブリーアリーナで観た事があります まだ元気で活動されてるんですね ナッシュ在籍時代だけを聴いてると見えにくいが 長い目で見ればヒックスとエリオットのバンドだったんだろうね てか実際そうなったんだけど ホリーズといえば一般にはアランの歌声なのだが、一方で各員ボーカリストのような印象もある エバリーをベースとしたクラーク&ナッシュという「デュオ」が 結果的にヒックス&エリオットという「バンド」に乗っ取られた。 悪い意味で言ってんじゃないよ >>335 どんなだったか、ぜひ教えてください。 コンサートの様子はもちろんですが、できれば行くことになった経緯?も。 >>336 同意。 擬似兄弟デュオ+義兄弟バンドという、特殊な組み合わせですよね… >>337 もしかしてと思い探したらチケットがwhttp://beebee2see.appspot.com/i/azuY-9-2Bww.jpg 画質悪くてすいません 感熱紙に印刷してあるので、そのうち消えてしまうと思うので記念にうPしてみました 28 september 1991 07:30pmって書いてあります 値段は9.5£(まだ学生だったので1番安い席を選んだ記憶がw) たしかライブ当日にフリーの情報誌で見つけて急遽向かいました チケットを購入した時に一曲目のバスストップが始まり走って席に着きました ステージ前でお客さん(おじさんおばさんに混じり若い人もチラホラ)が踊ってましたね まさにベストヒットライブ(+R&Rの定番曲)で1番観客の反応が良かったのは兄弟の誓いでした。 個人的にはライブ中盤くらいからトニーヒックスに釘づけでした 生意気にも、こんなに凄かったのか!ジョニーマーよりずっと凄いぞ!なんて思ったりして。 最高だったけどStayやって欲しかったなあなんて思いながら興奮してホテルに帰りました。 記憶を振り絞りましたがこの程度です(T_T) ありがとうございます! パンフは買いました? あと、衣装とか雰囲気は、つべに上がっている、93年(30周年)のと近いのかな? トニーは、何着てました? それと、MCとかは結構、多い?それともガンガン歌いっぱなし(もうアラフィフ なので、わりとゆったりした構成かな)? クリント・イーストウッドが主演の「人生の特等席」を見てきました。 バーのシーンで、「喪服の女」、LCWが店内のBGMとして流れていました。 野球の老スカウトマン(イーストウッド)と娘がアメリカ南部の町を旅する。 娘はやり手の女弁護士で、美人。彼女がバーでビリヤードを始めると、男たちの注目 を集めてもめ事が…というシーンでした。 曲と合っている展開。もめ事が終息したところで…had it all♪と。 「タイタンズを忘れない」や「ラブリーボーンズ」でも、LCWは、流れていましたね。 少女漫画でいうところの、「24年組」とかが、好きそうだと思う。 カルセルとかエロイズ。センチでお洒落っぽいのが良かったのかな。 (私はエロイズは、ちょっとくどいと思うが) >>344 は元GTRのマックス・ベーコンだよ 本物は>>345 >>344 の動画に貼ってある写真の人がマックス・ベーコン? いちばん新しいレスの @Ceelceela @113anya That's Allan Clarke singing, formally lead singer of one of Britain's greatest groups from the 1960's, The Hollies. この投稿は間違い、ということ? すごく声が似ているね。アラン・パーソンズプロジェクトの頃のアランの声と とても似ている。 >>345 は引退する頃のものです。 ジョージ・ハリスンの息子ダーニがアビー・ロード・スタジオで初レコーディングした新曲「Never Too Late」を公開 http://amass.jp/16745 トニー・ヒックスの音も入ってるって その記事の続き http://amass.jp/17761 スタジオにいるときはラフな格好ね >>353 ホリーズはボーカルも演奏も素晴らしい 聞き手もすぐ良さを理解できる でも何かが足りない 音楽的に端正で安定していて優等生過ぎるのかも 理解できない部分イマイチの部分が味になったりして聞き続けるバンドもある もしかしたらナッシュがそのバランスを崩そうとしてたのかもしれないが まだまだ真面目な感じ しかし同時期に出てきたバンドの中では間違いなく上位 >>355 自分は、ブリッジ部分への展開の仕方とか、よく出来ているなと感じ、 ハッピーソングなわりには、意外と飽きないな、と思うんだけど。 >音楽的に端正で安定していて優等生過ぎるのかも それはあるよね。 胸をかきむしるような、自分の人生をぶつけるような所は、あまり見られないね。 安定を選び、ビジネスの上でも堅実に成功した 人たちだから。 スタジオのエンジニアの回想とか見ても、ホリーズはプロフェッショナル、 上手いわ、きちんとしているわで、圧倒的に印象が良いようだ。ボビーとは 一緒に飲みに行き、アランには子供のゴッドファーザーにまでなってもらった、 とか、そんな話が出てくる。 コスプレに走り人生設計が狂った蒐集家の末路がこの部屋だ! http://imageshack.us/f/857/kedamanooyaji.jpg/ 現在もちぎれんばかりにチンコをしごき自家発電に励むハゲオヤジの部屋 原発事故前から照明を落として節電?w 布団も洗濯せず何十年も敷きっ放しでエコロジー?w 家ダニの飼育と家庭菜園でカビやキノコも・・・食べちゃうの?www やたらとアイドル、アニメに詳しい (ローン地獄でこの先も実家の世話になり万年床で夜な夜な)ひとりぼっちのあいつ(はもう50歳超) http://imageshack.us/f/857/kedamanooyaji.jpg/ この部屋見ればお分かりのように オンナはおろか友人もいないので生まれ年と同じのヴィンテージギターを自慢する場所が2ch以外にない すさみきったヤモメ部屋に気づかずうpしたのは万年床さんにとっては普通の部屋だから 結婚相談所でも相手が見つからず 時はローンでも買えないので子孫を残せないという最大のミスが重く圧し掛かり いつも焦りとイラダチを2ちゃんねるにぶつけることで頭がいっぱいの万年床さん 今から奇跡的に酷いブサイク女が結婚してくれて子供ができても 成人する頃には布団から出れない老衰お爺ちゃん・・・・・まさにリアル万年床さんw ギターより悲惨なヤモメ生活に目が行くのは万国共通w アラン・クラークって名前 最近のアーティストでもいるんだ、、、 イギリスの、有名なサッカー選手、政治家にもいるよ。 名前の話が出たので。 女優のキャリー・アン・モスの名前の由来が、ホリーズのヒット曲「キャリー ・アン」であるように、英米の名前はそのときの流行のモノや有名人からとったり、 あるいは親戚の誰かにちなんで、ということも多いのですが。 でも語源を調べるとそれなりの意味はあり、親の願いが込められているのがわかります。 アラン・クラークだと、アランはミドルネームで、ファーストネームはハロルド。 ハロルドには軍隊の指揮官などの意味があり、まぁ日本でいえば英雄クンみたいな感じ でしょう。アランの芸能活動に反対していた頑固おやじが付けそうな名前です。 しかし、これは下町の子供たちにはとても発音しにくく(Hが抜けて、アロルドになる)、 なかなかちゃんと呼んでもらえなかったようです。また子供の頃のアランはチビで内気でした。 芸能人になるなら、小粋な感じのするアランのほうがふさわしいと思ったのかもしれません。 アラン・ドロンは美男の代名詞ですが、アランは英仏どちらにも多い名前で、美男の意味が あります。 アランのファースト・ソロアルバムのタイトルは、「マイ・リアル・ネーム・イズ・アロルド」 ですが、「これが素の私です。労働者階級なまりのアロルドです」という意味があるのでしょう。 また、英国の名前は先祖の職業を表していることが多いのですが。たとえばテイラーとか、 カーペンターとかベイカーとか。クラークは聖職者です。男性ファンや、ボビーは彼をクラーキー と呼ぶようですが、日本流に言えば、かんちゃん、とか、ぶっさん、みたいな感じかもしれません。 トニーはアンソニーですが、これは比類なき、とか、貴いという意味があります。 またミドルネームはクリストファーで、これもキリストを担う者、転じて高貴、 という意味があります。 日本でいえば(しつこいですが)貴志クンとかそんな感じかもしれません。 グレアムは英国人に多く、アメリカには実は少ない。アメリカだと、いかにも英国風 な感じに聞こえる名前です。グレイ、灰色の鎧や家、転じて健康という意味があるそうです。 ミドルネームのウィリアムは意志の強さを表しています。 ボビーはロバート。光輝くという意味があります。この人はたぶん一人っ子で非常に可愛が られて育ったそうです。待望の男子だったのでしょう。 バーニーはバーナードで、これは熊のように勇敢、というような意味があります。 バーナードというとゴツイ感じですが、バーニーと呼ぶとスイートですね。 気は優しくて力持ちな感じで、これも似合っていると思います。 実際、ボビーは20代の後半には、かなり輝いていたんですけどね。 また、プロデューサーのロン・リチャーズは、複雑な出生の人で、これが本名なのか ちょっとよくわからないのですが… ロンはロナルドで、(王様に)助言をする人という意味があります。 リチャードは姓にも名前にもよく使用され、力強さを表しています。 苦労人でもあるだけに、労働者階級の野心のある青年たちの良き助言者だったのでしょう。 モノステレオに新たなボーナス付きで再発されるみたいだな ナッシュ期だけ再発されても今更って感じなんだよ それ以降を紙ジャケ化してくれないとさ ナッシュ期が爆発的に売れればそれ以降の企画も検討するんじゃないの 前回の紙ジャケが発売した時 飲料水のTVCMで「Stay」が使われてて ホリーズのブームが来るかなとちょっと思ったけど何も起きなかった、、、 とある番組でアイムアライブがbgmに使われてて何ていい曲だーと思って 改めてアルバムで聴いてみると飽きる、もういいよとなって不思議 >>380 ありがとうございます。このDVDです! このライブ好きなので画像良かったら購入しようと思ったんですが ユウチュウーブソースでしたか 情報ありがとうございました!助かりました!! ロマニーまで紙ジャケ発売決定 ワーナーさん最高です 最後まで紙ジャケ化よろしく http://www.amazon.com/Wild-Tales-Rock-Roll-Life/dp/0385347545/ref=pd_bxgy_mov_img_y グレアムの自伝出ましたね。 このアマゾンの頁で、第1章、第2章の途中までと、最後の謝辞の部分が読めます。 1章は脱退後、渡米した間際のこと。 2章はグレアムが息子たちと自分が生まれたブラックプールのホテルを訪ねるところ (マンチェスターは空襲が酷く、サルフォードでも疎開があり、とりあえずホテルに 避難して誕生したようです)から始まり、サルフォードでの子供時代の思い出が書か れています。 サルフォードは貧しい下町なんですが、みんな真面目で誰も家に鍵をかけず、ガイ・ フォークスのお祭りには子どもたちが走り回り、女王の戴冠式があると道にテーブルを 出してお祝いするような下町人情あふれるところです。アランとの出会いも出てきます。 イギリスには「コロネーション・ストリート」という、トップ・オブ・ザ・ポップス が始まった頃からずっと続いている、下町人情ドラマがあります。なにしろ初期には アンソニー・パーキンスも出ていたという、驚愕のご長寿ドラマです。 で、このコロネーション・ストリートは架空の街なんですが、サルフォードがモデルなんだ そうです。 さてそれは80年代後半から90年代にかけてのことなんですが、ホリーズのおじさんたちは もう世界中のあらゆるところに行ってしまったので、「珍しいところでライブをやろう」 と思っていたらしく、たとえばドイツだとヒトラーが好んでいた離宮とか、 え、そんなところでやるの、という感じで「コンサート兼、大人の修学旅行」を楽しんで いたようです。 で、最も変わっていて思い出深いのは、マンチェスターの郊外にあるグラナダ・テレビスタジオ (旧作のシャーロック・ホームズもここで撮影)の、「コロネーション・ストリート」 のセットの中でライブをしたことだそうです。 出演中の俳優陣も一緒に歌ってくれて楽しかった、とか。 グレアムとアランが走り回っていた街で、初期のホリーズはアランのお兄さんが ビジネス用の車を出してくれていたので、みんなでサルフォードから出発したり もしていました。 サルフォードの街の古い人たちは、「フランクの大きな車に楽器を積みこんでいた」 ことなんかを覚えているそうです。 あ、すみません。386に書いたことは、自伝に出てくる話ではなく、 ネットで検索したツアー記事や、サルフォードのタウン誌に出てくる話です。 ナッシュの自伝情報ありがとうございます。 メンバーは下町情緒溢れる地域で生まれ育ったんですね ホリーズ脱退あたりも読んでみたいです 日本で翻訳されて発売・・・は無いんでしょうね ところで「珍しい所でライヴをやろう」なのに、日本には 来日しないんですね 試し読みは2章の途中までで、下町での子供時代のことまでですね。残念。 買ってみようかなぁ。ホリーズ脱退後のグレアムに興味がないので、読むのは 前半部分だけになってしまいそうですが…(一章のCSNの人たちとの会話も、 どうでもいいわ、と思ってしまったくらいなので) ネットの動画に「グレアム・ナッシュ、ドキュメンタリー」がずっと上がって いますよね。これも子供時代からホリーズのところまでだけ見たのですが。 アランとボビーも出てきます。グレアムはハワイの家のベランダでインタビュー を受けていますが、アランとボビーも自宅じゃないでしょうか。アランはアメリカの 家、ボビーも故郷の家の手の込んだアンティークの椅子に座って…じゃないかと 思います(トニーはでてきません。う〜ん)。 ドキュメンタリー映像にサルフォードの街も出てきます。アランが、これトイレが 裏庭、外にあって雪や雨の時はねぇ…とか言っていますが、グレアムも自伝で同じ ことを言ってて、くすっと笑ってしまいました。 グレアムんちは5人家族で(両親と、グレアム、下に妹がふたり)2ベッドルーム、 貧しいのもあるけど戦中戦後の物資不足でいつもお腹が減っていた、とのことでした。 でもアランのうちは6人きょうだいですから、想像するとそれどころじゃ、 ありませんね。ギターを買っても、とてもじゃないけど、家で練習はできそう にない。サルフォードの人たちの思い出話では、「フランクの店(紙と印刷の店) の奥で、スキッフルボードをいじくっていた男の子、あれが後のアランだよね」 というのが出てきます。サルフォードは再開発地区になっているので、街の古い 人たちは思い出話を記録しようとしていて、ネットで見ることができます) ネットで見た記事…もう記憶があやふやになっているのですが、ストラウド だったかスタイルズだったかが「ホリーズはいろいろ変わったことろに 行くんですよ…なかでも変わっていて印象深いのは、グラナダスタジオ…」 という感じで話していました。グレアムと一緒にバディホリーを吹き込んだ 頃の記事です。 変わったところ…国名を忘れてしまったけど中近東の海辺とか、クアラ ルンプールのディスコ(これもマレーシアじゃなかったかもしれないけど、 東南アジアの都会でした)とか言っていました。面白がっている感じです。 中近東や東南アジアに行くなら、日本にも来てよ〜と私も思いました。 あの、でも、ネットの動画のレスポンスの部分を見ると、時々、タイ語? という投稿があるんですよ。これって何、と思いつつたどっていくと… ホリーズの「アナザーナイト」は、なんとタイで大ヒットしたことがある んだそうです。びっくり、でしょう? 記事で語られているディスコは、バンコクじゃなかったと思います。 なので、「アナザーナイト」は、東南アジアのあちこちで、意外なスマッシュヒット だったのでは、それで行ったのかなぁと想像しています。 湿度の高い感じの曲で、合っているのかもしれませんね。私は好きです。 アランのインタビューでは、「アナザーナイト」はアメリカを意識したもので これが当たったらみんなでアメリカに行こう…とか思っていたけど、そうは いかなかった、狙いすぎても上手くいかないもんだねぇ、みたいなのが 出てきます。 アメリカじゃなくて、東南アジア受けしたんだね…ついでに日本にも寄ってほし かったけど、日本では当たりませんでしたよね。 78年にアランが短期間、アメリカに行っていた時、実はアラン・メリルが加入 するという話があり、これは活字にもなっています。 アラン・メリルがもし正式加入していたら、メリルは日本で活動していましたから ホリーズは日本にたびたび来ていたのではないかと思います。 ただボビーはアラン(クラーク)を引き留め待っていると言っていたそうで、 アラン・メリルにはとうとう一度も会いませんでした。 メリルはホリーズの事務所に招かれ、ボビーをのぞくみんなで一緒に歌ってみ たりしたようですが、結局、トニーとウマが合わなかった、というか、トニー は気に入らなかったらしい。 何故わかるかというと、アラン・メリルはトニーの態度をスノッブだとか無礼 だとか、いろいろ口汚くののしっています。しかし、その口ぶりを読むと、下品 だなぁと感じます。まぁそのへんが、トニーは嫌だったんじゃないかな。 >>389 多くの貴重な情報ありがとうございます。 終始驚きながら拝読しました。 英語に明るいのもとても羨ましいです ナッシュドキュメンタリーにヒックスは出てないのには(笑) アナザーナイトと東南アジアの組み合わせも面白いですね アラン・メリルVo.の可能性があったホリーズというのも初耳でした。 やはり鍵はヒックスとボビーが持ってるんですね。 でもやはりアランVo.でボビーとヒックス、テリー、バーニーに 来日して貰いたかったです。 ネットのホリーズネタは翻訳をかけても読みづらくて 自分では半分も理解出来ないので ホリーズ情報たくさん上げて頂いて嬉しいです。 いや実は英語はよくわからないんです、ざっと目を通すだけで。 でも日本公演後の記事を見ると、当時のマネージャーが「日本の印象は非常に 良かった、アメリカの女性ファンとは違ってお行儀がよくて、涙ぐみながら 花束を差し出してくれたり、メンバーも感激していた」と話しています。 DVD発売記念のグレアムとアランのパネルディスカッションでも、着物を着せて もらったとか、楽しそうに話していますね。 まったく、もっと来てくれれば良かったのに。 しかし来日時は今思うと複雑です。 トニーは日本ツアーでも、当時のパートナーでトニーに多大な影響を与えた ジェーン・ラム女史と片時も離れませんでした。トニーは当時、写真に夢中に なっていて…もちろん、ジェーンを撮るためです。日本ツアーでは日本製の高級カメラ を買いました。最も盛り上がっていた時かもしれません。 68年のインタビューを見ると「彼女はプロフェッショナルなモデルだから今すぐに というわけにはいかないけど。僕は本当のところ、婚約期間なんか要らないと 思っている。僕らは結婚しますよ」「遅かれ早かれ結婚します」などなど、あ ちこちで結婚の意志を語っています。 しかし、74、5年に、トニーは新人モデルの別のジェーンと結婚、ジェーン・ラムも 業界人?の別のアンソニー(トニー)と相次いで結婚します。 DVDの来日映像ではトニーの映像は若干少ないかも、と思います。ジェーンと一緒 だからでは。また、トニーの写真を見てみたいと思いますが、作品がアップされてい るのを見たことがありません。破局とともに葬ってしまったのかな。 また、DVDの中で、グレアムが木に平和〜の相合傘を落書きしているシーン、 アランが憂鬱な表情で見ており、そこにボビーが来てジョークか何かを耳打ちし、 アランが曖昧に笑う箇所がありますね。 他のメンバーは知りませんでしたが…アランはCSNの構想を早い段階から 知っていたようです。でも、この話は意見がまとまらずに座礁するのではないかと、 ギリギリまで思っていた。願っていたと言ったほうがいいでしょうね、非常に葛藤 していたそうです。 それはホリーズと親しかった記者が70年代の末に書いています。 アランも引退後に簡単に触れています。 それとは別のアランのインタビューには、スティーブン・スティルスと 知り合ったのはアランが先だった話が出てくるので、人間関係もかぶっていて、 筒抜けになってしまうのでしょう。スティーブンはともかく、デイビッドは アランの天敵のようなもの。グレアムの曲からデイビッドの影響を除きたい と思ったようですが、それがかえってグレアムをデイビッドに傾倒させてしまった ところがあり、苦悩大会です。 この話はとめどなくなりそうなので、ここまでにしますが、そんなわけで、 アランにとっても、トニーにとっても、来日時を思い出すと、結構、苦いもの があったんじゃないかと思います。想像だけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる