ビートルズとはジョンレノンの事である
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ジョンがビートルズを結成し
ジョンがプリーズプリーズミーでブレイクさせ
ジョンが脱退してビートルズは解散した
ビートルズの主役はジョンであってポールやジョージは脇役なのである
ポールが有名になったのも天才ジョンのおかげpart2
1 :ホワイトアルバムさん:2007/06/15(金) 01:52:00 ID:HC+JvUwx0
ラブミードゥでコケたポールをプリーズプリーズミーで助け、
ミッシェル、シーズリヴィング、エリナーリグビー、アンドアイラブハーなどの
ポールの代表作を合作し、後期に舞い上がって傲慢になっているポールを
優しく見守っていたジョン。
天才ジョンのお陰でポールは有名になれた。
【【【 決別曲、インスタント・カーマ!】】】
1 :ホワイトアルバムさん@自治議論中:2006/12/29(金) 12:39:48 ID:???
インスタント・カーマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: ナビゲーション, 検索
インスタント・カーマ(Instant Karma!)は1970年にジョン・レノンがプラスティック・オノ・バンド名義で
発表した最後のシングル曲として発表した曲である。(B面はオノ・ヨーコ作の曲誰が風を見た)
この曲はジョンが完全にビートルズと決別した過程を示す曲といえよう。
ジョンは1968年頃からシングル・アルバムの製作実権を相棒の
ポール・マッカートニーに握られていることもあり自分の作りたい曲を
作ってもビートルズとして発表する事がなかなか出来ず悶々としていたが
1969年に「ビートルズで発表できないなら別に自分のバンドを作って
発表するか。」と決意してプラスティック・オノ・バンドを結成
(※ このバンドはジョンとヨーコ以外は好きなミュージシャンと組んで
演奏するといういわゆるコラボレート・バンドのハシリと言えるものだが結成当時は
「正体不明のバンド」と揶揄されていた。)、ポールが好みそうな曲をビートルズとして、
好まない曲をプラスティック〜名義で発表するという使い分けを行っていたが
コールド・ターキーの件で「もはや、ビートルズとしての俺は終わったな。」と悟った。
実際コールド・ターキーでは今まで使用していたレノン=マッカートニー名義から
ジョン・レノン名義で発表していたし、アビイ・ロードのレコーディングの後
『ポール、悪いが俺はビートルズと決別する。』 と通告。
ビートル(※ ビートルズのメンバーを指す言葉)としてのジョンに決別宣言をして
以降ソロ・シンガーとして活躍する意向を固めている。
『 PLAYBOY日本版「史上最強アルバム・ランキング」2008年5月号 』
@ サージェントペッパーズ/ビートルズ
A アビーロード/ビートルズ
B ホテルカルフォルニア/イーグルス
C ホワイトアルバム/ビートルズ
D フィルモアイースト.ライブ/オールマンブラザーズバンド
E リヴォルバー/ビートルズ
F ジョンの魂 / ジョン・レノン
G ツェッペリンW/レッドツェッペリン
H 追憶のハイウェイ/ボブディラン
I ツェッペリンU/レッドツェッペリン
これを見ると
やはり、ビートルズ=ジョンレノン
1位のサージェントペパーってもろポールのアルバムなんじゃなかったー?www サージェントのMVPソングはアデイかルーシーだろjk 渋谷の言うことは信じないが、 >>1 が言うことは信じる クロスロードという雑誌で年代別ソングライターランキングが載ってたが
60年代1位レノン・マッカートニー
70年代1位ジョンレノン 2位ポールマッカートニーだった。 サージェントでのポールの素晴らしさはアイディアであって曲自体は普通にジョンの方が上だったな。 去年ある番組のサージェントの曲人気ランキングで
1位は共作のアデイ。最下位1位2イがルーシーとカイトだった。 ルーシーってイギリスのランキングで人気曲なのに
日本の辺境ラジオの爺婆にはウケが悪いんだな ポールも凄いミュージシャンだと思う。でも、ジョンとは比べられない。
リアルタイムで聞いてきた人は知らないが、俺みたいに後追いで聞くと、
ビートルズ以前のロックと以後のロックには決定的な差がある。それは
ロックがものすごく豊かに表現できるようになった、ということだ。
このコアに居たのは紛れも無くジョンで、ポールではなかった。
ジョン以前、ジョン以後 という言い方はあるが、ポール以前、ポール以後
という言い方には違和感を覚えるからだ。なぜなら、ビートルズの果たした
役割の中で、音楽、ロックの多様性を追い続けたのはジョンの一連の作品だ。
特に、TNK,苺、A DAY, セイウチなどは比類無き作品だし、これらの作品
に触発された同業者がさらにロックを豊かなものにした。
20世紀で最も影響力のあった音楽家投票の一位がジョンであったことは
それを証明している。
20世紀のロック、音楽史の中でのジョンの扱いは相当大きいと思うぞ。
ジョンレノンの変遷をポールやマーチンが上手く乗りこなした感がある。 ぺパーのポール曲は退屈の一言
ルーシー、カイト氏、アデイと超名曲を送り込んだジョンのほうがぺパーに貢献してる
そして構成発案者のニール、彼にも賛辞を送りたいと思う っていうかアデイってジョンの曲じゃん。
それが1位ならいいじゃん。 アデイは元はジョンだからジョンの曲なのだが、
「僕とポールの二つの曲を繋げた共作です」とジョンが言ってたんだから
仕方がないね。
この曲の要の間奏、オーケストラの人達にあらかじめ決められた
低音からそれぞれの楽器で出せる可能な最高音まで、
徐々に上昇していくサウンドを考えたのはポール。
それ要か〜???
普通に
あいれっとにゅーすとぅでいお〜ぼ〜い♪
だろ
リボルバーあたりまでがジョンのバンドでその後はポールのバンドてのが常識 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています