秋山は野手陣のリーダーとして、必要な場面で敢えて内野ゴロを打つ自己犠牲の精神や、制球が定まらない投手に対しては2ストライクまで待ちを貫け、といった基本的な姿勢を口酸っぱく助言していたという。

「まるで小姑だと若手からは嫌われていたが、秋山の野球観は辻監督と共鳴し、グラウンド内の“右腕”だった。渡米の前に『ウチの選手は最近、野球が下手になった。これからもっと弱くなりますよ』と予言していて、実際に3位、5位と落ちる一方です」