https://news.yahoo.co.jp/articles/153e3dc0d5d1bcc6eafff9de68761556fa21a937
「スーパーサッカー」元Pが語る。終了危機、ライバル、YouTube。

>――番組終了の危機はありましたか。

「もう、何度もありましたね。そもそもスタートした時が『ドーハの悲劇』だったですから(苦笑)。最初の大きな山は2002年ですね。日韓W杯でサッカーは盛り上がったのですが、世の中的には格闘技ブームだったんです。
ダイナマイトが年末に番組を成功させてスゴイ人気で、格闘技班がうちのサッカー班の枠を奪いに来たんです。格闘技は勢いがあり、視聴率を持っていたので、これはマズイと……。

 それで何をしたかというと、『Jスポーツ スーパーサッカープラス』と看板を変えて30分から45分番組にして、野球とか他のスポーツを抱き合わせする事で番組の消滅を防いだんです。
でも、他競技を入れたので前から見ているサッカーファンには『裏切られた』と叩かれましたけどね」

――日本のサッカー人気は、日本代表の結果にリンクしています。代表が強ければ人気が上がりますが、2006年から2010年の間は結果が出ず、厳しい状態でした。

「この時期も非常に厳しくて、かなり迷走状態でした。
ドイツW杯以降、代表の人気が落ちて、オシムさんから岡田(武史)監督になってもさっぱり期待が持てなかったので、2010年の4月にそれまで死守していた土曜日の枠を手放すことになったんです。それは、けっこうショックでしたね。

 なんとか番組を続けるために金曜日に枠を移して、タイトルも『スーパーサッカーJ』にして、Jリーグに協力してもらってプレビュー的な内容にしました。ここで全国ネットが外れたんですが、最初は視聴率も今ひとつでかなり危なかった。
南アフリカW杯の結果がドボンだったら、確実に2011年3月にスーパーサッカーは終わっていましたね。でも、岡ちゃんさまさまで、また生き返るんですよ(笑)」

――なぜ、土曜日死守にこだわったのですか。

「昔は土曜日がJリーグだったので、試合がある日には試合VTRをしっかり作って放送するというのがうちの番組の意義というか、大前提だったんです。
だから、そこはこだわりました。ただ、今はJリーグが金土日で分散されていますから現在の日曜日がいいかなと思っています」