ミスタータイガース掛布について
習志野出身の掛布は即戦力ルーキーであった。
同級生の江川をライバル視していたことや、他の条件が下地となって、その域に到達した。

掛布は、1955年5月9日生まれ。
江川は、1955年5月25日生まれ。

1973年夏の甲子園、雨でぬかるんだマウンドで制球を乱した作新・江川は押し出しで銚子商業に破れた。
この大会で木製バットの使用が最後となり、翌1974年春から高野連は金属バットを導入した。

銚子商と習志野は千葉県内でライバル関係にあり、ともに関東大会を勝ち抜くには江川攻略が鍵となった。
当時使用した木製バットは低品質で、含水率の
管理もなされていなかった。
当然、素手でバットを握っていた。

江川のホップする速球は唸りを上げ、高2の秋頃には160キロ近く出ていたと言われている。
芯を外すと痺れる木製バットで、その快速球を真芯でとらえなければならない。
この条件で掛布は鍛えられた。

したがって、野球の本質を変える金属バット導入後の世代と条件が異なる。
タイガースが金属バット世代を育成できない理由は何か?
それを問題提起させて頂く。