しかし、翌97年には石井から連なるマシンガン打線を確立。チームとしては37年ぶりの
優勝に迫る2位に入るという大躍進を支えました。翌年の監督も当然任されるものと思
われましたが、球団はヘッドコーチの権藤博を強く推し、さらに野手側のチーフコーチ
を務めていた弘田澄男の解任をめぐって球団と対立。その結果、大矢は監督を辞任す
ることになりました。

志半ばで監督をやめることになった大矢ですが、選手たちから誰よりも下割れた監督で
もありました。そのためシーズン最終戦、大矢は選手たちから胴上げを受けることに
。優勝したこともない監督を胴上げして送り出すのは前代未聞の出来事。いかに大矢
が愛されていたかがわかります。



弘田解雇に納得行かず対立したんだな