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父もいた野球部「つぶしたくない」 島の分校の危機

>昨年6月下旬、愛媛大会前のこと。野球部の先田寿志(さきだかずし)監督(56)は、当時2年生だった金子君に尋ねた。「夏が終わったらお前ら2人になる。野球続けるか」

 この年の部員は8人。他の運動部から助っ人を呼び、愛媛大会には出場できる。が、問題は大会後だ。6人いる3年生が引退すれば、残る部員は金子君と、1年生だった亀田知宏君の2人だけになる。
野球部は1951年創部。島内に野球部出身者は多く、先田監督も、金子君の父親も、大三島の選手としてプレーした。金子君がやめると言えば、その歴史は途絶えるかもしれない――。

 先田監督の心配をはねのけるように金子君は答えた。「父さんの出た野球部をつぶしたくありません。1年生を待ちます」。人数のことだけで野球をあきらめたくないという金子君の気持ちを聞き、亀田君も野球を続けると決めた。

 先田監督は選手たちに「中学生にアピールできるのは公式戦の場だけだ」と発破をかけた。当時主将だった藤原修平さん(18)も「島の分校でも野球はできるんだぞと中学生に見せよう」と呼びかけ、練習に一層力が入った。

>そして4月。新入生が分校にやってきた。野球部に入部した1年生は7人。全員が地元・大三島中学の野球部出身。昨夏の16強入りを見て入部を決めたという1年生ばかりだった。

 9人になり、外野を向いて打撃練習ができるようになった。金子主将は、はにかみながら言う。

 「1年生が入ってくると信じてやってきた。あきらめないでよかった」