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「医者からは夏の大会には間に合わないと言われた。セカンドオピニオンっていうんですか? 他の医者にも診てもらいましたが、野球ができるようになるのは9月以降と言われました」

 しかし、大谷は夏の大会出場をあきらめていなかった。
頭の痛みが引いてきた1週間後には歩き始め、2週間後には体幹やインナーマッスルのトレーニングを開始、復帰への準備を進めた。1か月後には練習を再開したが、そこには厳しい現実が待っていた。
「マシンのボールに全然バットが当たらなかった。けがは大丈夫でも技術的に夏の大会は厳しいかもしれないと思った」と当時を振り返る。

 1か月の遅れを取り戻すため、ティー打撃から始め、何とか感覚を取り戻そうと練習に励んだ。
そして迎えた最後の夏、本調子ではなかったが、グラウンドには大谷の姿があった。復帰戦となった西千葉大会4回戦、八千代東戦ではいきなりヒット。決勝では高校通算33本目となる本塁打を放ち、チームの甲子園出場に大きく貢献した。
けがは完治したと思わせる活躍ぶりを見せたが、実は試合に出場できる状態ではなかったという。

「医者からは試合に出場するなと言われていた。監督には医者からのゴーサインが出たので大丈夫ですとうそをつきました。野球を辞めたら自分には何も残らない。もし(もう一度)頭に当たったらそれが自分の運命です」と覚悟を決めて夏の大会に臨んでいた。

 代償もあった。頭には問題はなかったものの、オーバーワークが原因でヒジの靱帯を損傷してしまい、投手として出場できず。
「頭のけがのせいにしてたけど、本当はマウンドに上がれる状態じゃなかった。甲子園でもライトからセカンドベースまでノーバウンドで届きませんでした」。結局マウンドへ上がることなく最後の夏を終えた。


頭おかしい