【虎のソナタ】仲間に恵まれたバッキー氏
http://www.sanspo.com/baseball/news/20180403/tig18040305000002-n1.html

 彼は7年間、阪神で投げて、1969年だけ近鉄に移籍したが、そこでは1勝もで
きなかったから、事実上、阪神での7年間で燃え尽きた…といえる。

 実は筆者はその7年間、新米記者として、バッキーの「日本でなんとかしたい」と
いう必死な姿を見てきた。これほど「日本に飛び込み、退路を断ち、必死のパッチで
嫌な顔をみせず、それでいてものすごい恐妻家(愛妻家)で、誰からも愛された外国
人投手」はいない。

 56年前に、それこそ帰りの飛行機代すら持たずに日本にやってきて、阪神のテス
トを受けた。その苦労話は連載でとくと読んでほしいが、それを読破したマジメ人間
の当番デスク野下俊晴も「彼の真摯(ひたむきなこと)さには感動した…」という。
といってどこかの修道院のような話では断じてない。彼は自分を追い詰めて、日本の
野球にとびこんできた。

 入団テストのために来日したのが1962年7月18日。伊丹についたときに出迎
えたのは当時、球団の多賀井氏という方で、営業担当の事務職だった。それでもバッ
キーは手をギュッと握って「よろしくお願いしますョ」と何度も繰り返したという。
多賀井氏がいつもシミジミと「彼は本当にひたむきだった。あの気持ちが成功の第一
歩だと思う」と言っていた。