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 1936(昭和11)年6月9日、西村が主将を務める関大は2度目のハワイ遠征
へ、神戸港から秩父丸に乗り込んだ。出発を前に西村は三重・宇治山田の実家で両親
に「3年前にハワイで知り合った女性がいる。まだ一人でいるなら結婚を申し込みた
い」と打ち明け、承諾を得ていた。

 女性は33年6月、関大の第1回ハワイ遠征で同じ神戸―ホノルルを結ぶ秩父丸に
乗り合わせた東(ひがし)末子。ハワイで生まれ育ち、両親の故郷・熊本を訪ねるた
め初めて来日し、帰る途中だった。当時22歳、オアフ島の電話局に勤めていた。

 西村は当時すでに23歳。宇治山田中(現宇治山田高)から愛知電鉄(現名鉄)の
鳴海クラブでプレーした後、31年に関大予科に入学していた。

 当時、7〜8日間の航程。日本語が苦手な末子に西村は得意の英語で話しかけた。
今回の取材でハワイに暮らす三女・洋子が持つ、当時の写真を提供してもらった。「
ロマンスの始まり」と題し、笑顔の2人がいた。

 それから3年。船中の西村に英語で電報が届いた。「ウエルカム・ユキオ スエコ」
とあった。西村の喜びようが目に見えるようだ。末子は現地の新聞で関大来訪を知り
打電したのだった。