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 今の中区袋町。アパレル店が並ぶ、おしゃれな街並みとなっている。当時は旅館が
立ち並ぶ平田屋川(運河)周辺にあった。古い広告に「客室三十余」「特に団体宿泊
に至便」とあり、修学旅行生もよく泊まった。石本が務める紙屋町の支局にほど近か
った。

 阪神の就任要請に石本は「好きな野球に情熱を注ぎ込みたい」と二つ返事で受諾し
たそうだ。

 本社は森の上に総監督として石本を置く計画だった。だが前年、早大出の森を招く
際に了解を得ていたOB会組織・稲門倶楽部が激怒した。佐伯達夫(後の日本高校野
球連盟会長)は「メンツにかけて森を引き揚げさせる」と承服しなかった。

 当時の公式戦はトーナメント戦で各地を転戦する形式で行われていた。7月11日、
第2回大阪大会(甲子園)1回戦、セネタースに1―8と大敗。13日の役員会で森
が退団となっても石本体制で行くと決めた。同夜、田中は山金旅館で石本と3度目の
会合を持ち、正式契約をすませた。

 この時、森以下チームは第3回名古屋大会(八事・山本球場)に臨んでいた。15
日開幕で1回戦・巨人に競り勝ち、18日の準決勝でセネタースを振り切った。19
日の決勝で阪急を11―7で下し、初優勝を果たした。