大学日本代表で3番と4番を打ち、1979年のドラフトの最大の目玉としてうちに入った岡田に対し
1980年のドラフト最大の目玉として巨人に入った原

運命の分かれ道でライバル球団の顔になった原は、阪神ファンにとっては永遠のライバルである

メディアは長嶋2世の4番として、原をさわやか若大将として売り込みスターにした
それに対して岡田は新人王こそ獲ったものの、掛布の陰に隠れることが多く
85年ぐらいしか輝かなかった
メディアからは藤山寛美とまで言われる始末

WBC監督としての原を阪神ファンも応援し、世界一を称賛したが
現役時代の原は、うちの低迷時代と重なったこともあり
数限りなく手痛い一撃をくらい、何度も煮え湯を飲まされてきた

原の優等生キャラが斎藤雅樹に受け継がれ、阿部に受け継がれてきた
その間うちは長い暗黒時代の闇を彷徨った

原のあらゆる言動にいちいち“ハラタツ”とみんな言ったことはあるが
原のたっちゃんなどと親しみを込めて呼ぶ阪神ファンは
今でも日本全国、おそらく1人としていないだろうね