破壊劇から20年…変わった契約更改と変わらぬ思い
[2018年12月13日1時39分]
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201812120000767.html

 98年にヤクルト球団を取材して以来、20年ぶりに契約更改を取材した。ヤクルトの
球団事務所は、新橋から青山に移った。新橋の球団事務所では、通路を通りながら球
団職員の様子を見ることができたが、レイアウトは一変した。セキュリティーが厳し
く、というかメディアが気安くのぞけない構造になった。

 そして、何よりも変わったのは、スムーズな交渉と、流れるような会見、そして交
渉担当者との推定金額を擦り合わせる、絶妙な答え合わせのやりとり、という流れだ
った。

 下交渉で、おおよその感触が、選手にも、球団サイドにもあるのだろう。球団に顔
を出して交渉に入るのは、サインをしに来ましたというシグナルとも言える。しかし、
90年代はそんな洗練された交渉はまだなかった。豪快で、その場でいきなりお互いの
考えをぶつける戦いの場だった。

 そんな場面に何度も出くわした。中でも度肝を抜かれたのは、91年オフの日本ハム
担当になりたてのこの季節。その年、最初の契約更改に訪れたのが、当時のストッパ
ー、武田一浩さんだった。1時間以上の交渉の末に、記者室に入ってきた武田(以下敬
称略)は、扉を入って3歩も歩かないうちに、若干体が開き気味だったが、ものすごい
クイックスローで、持っていたセカンドバッグ(当時はプロ野球選手はほぼ必ず契約
更改に持参していた)を、およそ5メートル先、ブラインドが下がっている窓へ全力投
球。