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 大食漢の逸話も多い。甲子園庭球場でのすき焼き会で若林忠志と食べ比べ、1貫(
3・75キロ)を平らげた。同郷の横綱・前田山の弟子・錦谷と東京・新橋の焼き鳥
店で競争し、なんと130本食べてやめた。怪力で270〜280匁(もんめ=10
13〜1050グラム)のバットを軽々振った。

 豪快なイメージばかりがあるが、実際は控えめで、先輩をたて、後輩をかわいがる
気のやさしい男だったと伝わる。

 松山商の後輩、武智修の話が大道文(本名・田村大五)の『プロ野球豪傑伝<上>』
(ベースボール・マガジン社)にある。43年に入団すると「おお、武智の坊やか、
大きゅうなったな」と迎えてくれた。

 当時、景浦は結婚しており、妻・久美と武智、同じ新人の中原宏を連れて西宮へ映
画を見に行った。「阪妻、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵……ほとんど見たんじゃないかな。
西宮の敷島劇場、畳敷きの2階はいつもガラガラだった。その畳の上に景浦さんはゴ
ロッと横になってチャンバラを見るんです。楽しそうだったな」