>>697
当時は西岡が二塁、鳥谷が遊撃に座っており、
大和ですら外野に回らざるを得ず、バックアップに坂がいて、
上本が控えからチャンスを伺い、
おまけに野原将・藤井宏・穴田を見限った年。
当時の事情見れば、どっからどう考えても
田中広よりも陽川を優先すべきだった。
もちろんその後をみれば色々誤算もあり、
陽川は埋めがたい程の差を田中につけられたわけだけど、
越後屋さんは何十年もこの仕事やってんのに、
ろくに検証できないんだなあ、と。