『落合博満の哀れな末路』  

解説の仕事もなく暇で暇で仕方なかったんだろう、和歌山に建てた記念館で、
この正月も落合はチケットのもぎりをした。こうした記念館は、
常識人ならヤンキースの松井がベースボールミュージアムを故郷・石川県根上町に
つくったようにたいていが故郷につくるものだが、そういう発想が落合にはない。
落合は故郷・秋田市の隣、男鹿市には【苦い思い出】が多かったと
講演会などで告白しているが、地元民から尊敬されていないことも原因だろう。
普通は市民から名誉市民に、との声が上がるが男鹿市では一切そんな声が出ない。
尊敬どころか、無視されている。
(中略)

●この異常性格者を好んだのが、中日新聞会長でオーナー白井だが、
白井もいまでは後悔し始めている。インタビューで地元優先、生え抜きに活躍の場を与える、
といった落合時代を払しょくする指針を打ち出したが、いまさら、という声は多い。
●白井と落合、似た者同士とはよくいったもので、人間は類は類を呼ぶが、
【過去の人】にふさわしく、きょうも足取りは覚束なく、
しかし顔は【まだまだドラゴンズは俺がコントロールするよ】
とでも言いたげにギラついた顔を見せながら、よろよろと中日新聞本社廊下を歩いていたが
間もなく車いす生活だろう。

落合に監督、GMを要請した大きな失敗を反省することもなく、【晩節を汚す】日々を送っている白井、
最近では「清宮を獲れなかった」ことを嘆いていたが、こういう人種は死ななきゃ治らない。