>>879 アナシンの抗議で既に消えてるけど、どこかには残っている。

王(ソフトバンク会長)と落合(中日監督)「犬猿の歴史」- ゲンダイネット(2011年11月12日17時00分)

 12日から開幕するソフトバンク―中日の日本シリーズ。中日の落合監督はシリーズ進出を決めた直後、
「やっとソフトバンクと戦えるな。王さんとの約束だったから」とリーグ優勝を果たしたチーム同士の対決を喜んだ。
04年シーズン、セは中日、パはダイエー(当時)がリーグ優勝した。落合監督は、当時監督だった王会長に
「日本シリーズで会いましょう」と話したそうだが、その年からパで導入されたプレーオフでダイエーは敗れた。
だから落合監督は「約束が果たせる」と言ったわけだが、王会長からすれば、「どの口が……」じゃないだろうか。

「この2人は犬猿の仲ですよ」
と言う球界関係者は少なくない。

 コトの始まりは05年1月だった。落合監督は、王監督が座長を務めた12球団監督会議をプライベートの所用で
欠席した。これに王監督は「他の監督への侮辱行為。3度の三冠王がそんなにエライのか!」と激怒したという。
そして同年の交流戦。5月14日からのナゴヤドーム3連戦の初戦で落合監督は今度は風邪を理由に試合前の
メンバー表交換に出てこなかった。

「これにも王監督は大激怒でした」
と、当時のソフトバンクを知る関係者がこう続ける。

「あの温厚な王さんが、『落合の顔を見たら殴ってしまう』と声を荒らげていました。14日の初戦、福留(現インディアンス)の
三塁打の判定に風邪だったはずの落合監督が猛抗議し、本塁打に覆ったことも怒りを増幅させたようです。15、16の両日は、
王監督の方からメンバー表交換を拒否したほどです」

その後は“場外乱闘”も勃発しそうになった。王監督は、翌06年のWBC日本代表監督に就任した。

 しかし、落合監督は「シーズンを優先すべき」と、選手の派遣に対して非協力的な姿勢を見せた。
最終的に福留、谷繁の2人が代表入りを果たしたが、当初の代表メンバーには谷繁しか入っていなかった。

http://news.infoseek.co.jp/article/12gendainet000158597