つまり、おれみたいなやつはな、どういうやつかというと、
ピーターパンみたいな性格を中年になっても引き摺ってるようなやつって事さ。

それがこっくりさんをやった小学校から
続いている憑依に拠るものだとしたら、ピーターパンは
あの世にもまだ沢山いるだろうし、この世に来てからも
ピーターパンのような気持ちをどこかで持ち続けているか?
っていうのは、

そいつがふつうの人になれるか、
ふつうよりも少ない人になるかっていう分かれ目なんだろう。

自分はふつうをまだ知らない。
自分はふつうを演じようとするけれど、
自分がふつうの人に見えているか不安になることで
いろんな人のふつうを真似てゆく。

そうすることは、ふつうの人を見失う。
短気な人、気長な人、いろんな人が「これはふつうの事だ」と
云ってくれることを真似ようとしていると、そのうちに
短気な人のふつうと気長な人のふつうが同じじゃないのに
じぶんのなかで聴いたことがある言葉に思えてどちらに
したらよいかわからなくなる。

たぶん、じぶんのふつうを持てたらよかった。
じぶんがふつうに思っていた事でも、周りから
自分のふつうの方がいちばんふつうと云われると
そうしなきゃいけないような気持ちになる。

だから、ずっと、じぶんのふつうを持てたらよかった。
ロックを聴き始めた時にこれをずっと聞いて時間が過ぎる
なんてふつうじゃないと思えばよかった。

そうすれば、ふつうになれたのに。きっと
ふつうを知ってる人がいちばん成功している人かもしれない。