☆★ 猫と犬のたまり場 ★☆
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アニマルセラピーのスレです。
動物とのふれあいは精神的な健康の質を向上させるといわれていますが、
アトピーはアレルギーも発症しやすく、動物とのふれあいは思うようになりません。
そんな方たちのためにここが癒しの場となることを願っています。
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また〜り ゆく〜り くつろいでいってください。
どなたでも気軽に参加してくださいね。 >>647
ありがとう〜(TДT)
人様の温かい気持ちがめちゃくちゃしみこむにょ〜(´;ω;`)
それで潤ってよくなる気がするにょ〜=^・ω・^=
リス、ダイエットも兼ねてロングブレスを始めたにょ〜
良くなるとい〜に〜(●´∀`●) ___
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( ´∀`) ゴロゴロ…
( つ━つ ____
`ノ ハ ヽ\|__//
(__)(__) ◎=)) ̄
あけおめだニャ〜
どっこい生きてるニャ〜
心も体も寒いニャ〜 あけおめだニャ〜
毎日かゆいニャ〜
妖怪のせいだニャ〜 あけおめだニャ〜
今頃そば食べたニャ〜
かまぼこうまいニャ〜 あけおめだニャ〜
眠りが浅いせいか夢をよく見るニャ〜
夢くらいいいのが見たいニャ〜 中世ヨーロッパ
当時のヨーロッパでは
ペストは謎の死の病
黒死病と呼ばれ大流行していました
ヨーロッパ人口の約半分が死に絶えたと言われています
http://fusigi.jp/fusigi_3/works/works_4_a.html ネコは今から約5000年ほど前から人に飼われています。
古代エジプトではネズミから大切な穀物などを守るためネコを飼っていたようです。
そして人々は大切な穀物を守ると同時にペストをまき散らすネズミを退治してくれる
ネコを神聖な生き物として大事にし、飼いネコが死ぬと、飼い主は喪に服し、 高貴な身分の人と同じようにミイラにして棺に入れて丁重に葬られました。
また、古代エジプト人はネコを国外へ出すことさえ禁じていました。
たしかにネコには他の動物にはない神秘的な魅力を感じますよね。
やがてネコは神格化され崇拝されるようになりました。
神格化されたオス猫は太陽神ラーの象徴とされ、 メス猫は“女神バステト”の象徴とされていました。
女神バステトは喜びと愛の女神です。まさにネコそのものですね。
見ているだけで喜びと愛をくれます。 やがて門外不出だったネコたちは交易を行っていたフェニキア人などにより、
ヨーロッパ、アラビア、アジアへ広まり、世界中で飼われるようになりました。
他の国々では宗教的な意味はなかったものの、やはりネズミから食糧を守るという事で飼う事が広まっていったようです。 しかし、神聖な生き物として崇められてきたネコたちは中世になるとヨーロッパでは立場が逆転します。
中世ヨーロッパではキリスト教が普及し、異教徒たちを取り締まるようになりました。
いわゆる“魔女狩り”です。
キリスト教は異端と見なされたグノーシ ス派を「黒ネコに姿を変えた悪魔と手を結んでいる」と非難しました。
それ以来、言われなき罪によりネコは悪の象徴にされてしまったのです。
そしていつしか魔女の手先と見られるようになり、たくさんのネコたちが生きたまま火あぶりにされてしまいました。
自分で書いてて悲しすぎる...。中世の人々はネコの鋭く闇に光る目が悪魔のように見えたのでしょうね。
あんなにかわいらしいのに...。
ヨーロッパではペストが大流行し、
それを悪魔の仕業と考えた人々は沢山のネコたちを大虐殺してしまいました。
しかしその結果、ネズミを退治するネコがいなくなり、逆にネズミが増えてペストがさらに流行して何千万人もの人々が命を落とすという 皮肉な結果をもたらしました。
当時の人々はそんな結果になるとは思ってもみなかったのでしょうね...。 人の宗教戦争に巻き込まれたニャンコらですが、
人にとってもネコにとっても暗黒の時代でした。 ネコが日本に来たのは奈良時代で、一説によると、中国から仏教の貴重な教本を持ち帰る際に 教本を守るためネコを一緒に連れてきたとされています。
それから主に貴族の間でネコが飼われるようになりました。
“宇田天皇御記”には先帝光孝天皇より唐渡来の黒猫を賜り、5年に亘って大切に育ててきたと記されています。
また“枕草子”には一条天皇も猫を愛し、宮中で子猫が生まれた時には、人と同じような儀式を行い、
五位の位を与え、「命婦のおもと」という名前を付けたと知るされています。
昔の日本でもネコ好きな人がけっこういたんですね この受難の時代に終止符を打ったのはドブネズミでした。
東方から侵入したドブネズミは、またたく間に土着のクマネズミにとってかわりました。
このドブネズミと相対し人間を助けたのが嫌われていたはずの猫だったのです。
人間は、ネズミ退治が得意な猫を高値で売買するようになり、さらに19世紀、パスツールが「多くの病気の原因が細菌であり、不潔さが直接病気と結びつく」ことを証明したことで、
これまで飼われていた犬や馬を敬遠し、
家の中の清潔なねこだけは可愛がられるようになりました。 枕草子
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan5/makura006.html 帝(みかど)が寵愛している猫は、五位の位階を与えられて『命婦のおもと』と呼ばれていた。
とても可愛らしいので、帝もいつも撫でて可愛がっておられるが、その猫が部屋の端のほうで寝ているので、
お世話係の馬の命婦が、『あぁ、ダメですよ。部屋に入りなさい』と呼んでいる。
日が差している暖かい場所で眠っている猫を、少しおどかしてやろうという気持ちで、『翁丸(おきなまろ)(犬の名前)、どこにいるの。
行儀の悪い命婦のおもとに食いついてやりなさい』と言ったのだが、
本気で噛めと言われていると勘違いした馬鹿者が走りかかっていったので、
命婦のおもとは恐れて御簾(みす)の中に入ってしまった 御朝食の間に帝がいらっしゃった時で、この様子を見て非常に驚きになられた。
猫をお懐にお入れになって、蔵人(警護の役人)をお呼び出しになられた。
蔵人の忠隆となりなかが帝の御前に参上すると、『この翁丸の犬を、打ち据えて罰し、犬島に流刑にしてしまえ、今すぐにそうせよ』とおっしゃるので、
みんなが集まって翁丸を捕まえるために騒がしく
帝は馬の命婦も強く叱責して、『猫の世話係の乳母を変えよう。
このままだと安心できない』とおっしゃるので、恐れた馬の命婦は御前に顔も出すことができない。
犬はみんなで狩りをして捕まえたが、瀧口の武士などによって追い立てられた。
『可哀想に、翁丸はあんなに威張ってこの辺をのし歩いていたのに。三月三日の時には、頭の弁が柳で頭を飾らせ、
桃の花を首に掛けて、桜を腰に差したりもして練り歩いていたが、
こんな酷い目に遭うなんて思ってもいなかっただろう』などと、清少納言は犬を哀れん 一条天皇の猫と犬への愛情の違いが分かるね
ボロボロになった翁丸は
清少納言が傷の手当てをして
引き取ってあげたんだって
https://rekijin.com/?p=13280 枕草子には
1日一食を1日二食にしたから
疫病が流行したって書いてあるね
http://inedia.jp/one-meal.html 、心の平安とは、心が無事で穏やかなこと、と説明されています。
確かに、私たちは物事が自分の願い通りに無事に運んでいるときは、心は満足し、心は穏やかになり、
人は平安を感じます。
しかし、私たちの毎日の生活には、多くの問題課題が発生し、
私たちの生活の一寸先にどんな問題が起きるか予測できないのです。
そのために、私たちの心は揺れ動き、心は不安に陥り、私たちは心の平安を失ってしまいます。
夜の睡眠も十分に取れなくなるのです。 私たちが、日常生活において心が平安であるためには、問題課題が山積していても、心は平安でなければならないのです。それが本当の平安というものです。
人が、健康で生きるためには、十分な睡眠をとり、適当な運動を継続し、バランスのよい食事をし、
心の平安が必要不可欠だと言われています。心が平安でなければ、先に挙げた三つの要件も十分にその効果を発揮することはできません。
この四つを健康の4要素と言っています。心が平安である人は、
心身共に健全であり、その人は幸せな生涯・平安な生涯を過ごすことができることになります。 心の平安とは、心が無事で穏やかである、と言われていますが、
問題課題のない状態の中で生きている人は、一人もいないのです。
私たちの社会生活は、問題が波のように消えては、また発生します。このような社会で生きていること自体が、
問題課題を詰め込んだ重い袋を、背負って長い人生の坂道を上っていくことに例えることができます。ですから、
平安な生涯とは、問題課題のない生涯を言うのではありません。さまざまな問題が起きている中でこそ、心は平安でなければならないのです。心が平安であれば、
問題課題に遭遇しても、その問題課題から逃避することなく、全力を集中して、その問題課題を解決していく努力の継続の過程に成長のための大変有益な力となるエネルギー源が隠されていることを知ることができるのです。
そして、問題を一つ解決するごとに一段一段と人格的にもその人は魅力を増していきます。
その問題課題を乗り越えて進んでいけば、必ず平安な生活を築くことが可能であることを確信し、
夢と希望を持ち続けることができ、心も平安で満ちあふれます。 「自分自身が平安である人は、自分のまわりのものすべてに平安を認めます。
本質は美であり、真理であり、平安です。人はそれを醜いものとして、
間違ったもの、暴力的なものとして捉えます。…それだけのことです」
「幸福な人生を送るには、心の平安が必要です。
人間の心は荒れ狂うガンジス河に似ています。心はディヤーナ(瞑想)のような歯止めとなるものを効かせて抑制しなければなりません。ディヤーナとは一点集中です。
心の動揺が人類にあらゆる不幸をもたらすのです。穏やかで健全な人生を送るためには、心の平安を培わねばなりません」
「徳高い道に沿って考え、話し、行動するなら、人の意識は純粋となり、
内なる平安を抱きます。知識は力である、と言われますが、美徳は平安です」 「快適であるということと平安であるということが混同されています。
快適さは平安と同じものであると受け取られています。富む者、地位ある者、富豪や権力者は誰も平安を得ていません。
それが真実であることは調べればわかります。平安は、銀行の通帳や部屋数の多い家、倉庫や鉄の金庫の中に見出されはしません。
あなた方の態度はすべてあべこべのものとなっています。
それは馬の前に荷車をつないでしまうのと同じ程滑稽なことです。物質的なことは霊性のあとについてくるものです。
心が馬であるのに、それが顧みられておらず、旅に備えて訓練されていないのです」
「単に憎しみを取り除いただけではアーナンダ(平安)を確実にすることはできません。愛をもまた、培わねばなりません」
「シャンティ(平安)は神の特性です。根気と忍耐と寛容をもって
正しい霊性の道に従う者のみが平安を得ることができます 人間の巧妙さが、自然が創造するものよりも美しくシンプルな、
あるいは正確な発明をすることは決してできない。
なぜなら自然の女神の創造物には何一つ欠けるところがなく、何一つ過分なものがないからである
ダ・ヴィンチは人間には自然より勝るものは
創れないと言いました
人間が作ったものは人工物であり
自然ではありません
自然は神が創ったものであり
欠点の無い完璧なものだと 1)人間が作り出したものは自然ではなく
化学です
元々自然界に存在しないものを使うから体に変調をきたすんですよ
人類は約10万種類もの化学物質を生み出した
だがどれも害のある過分なものばかり
アレルギー、アトピー、癌、様々な害となって降りかかる
自然ではないもの、それは不自然
2)誰も他人のやり方を真似すべきではない。なぜなら、真似をすれば自然の子供ではなく、自然の孫でしかない。
我々には自然の形態がたくさん与えられているのだから、直接自然に触れることが大事だ。
人間がしたのは自然の真似事です
自然から化けた学 つまり化学です 今の物質社会で心の平安を得ることは難しいことでも
今の社会は過剰社会と言えます
満たしても満たしても満たされない
物質社会に生きてると人の心は病んでいきます 宗教の創始者たち(イエス、ブッダ、老子)は、
宇宙の本質とは何か、
精神的な本質とは何か、
現実の本質とは何かについては、
それぞれ独自の考えをもっていて
相いれなかった。
しかし、道徳的な教えに関しては、
彼ら全員が一致している。
たとえば、物質的な富の追求は
間違った目的であるという解釈である。
また、没我性と他者への愛を持つことこそが、
人生における幸せと成功の鍵であると
口をそろえていっている 貧乏とは何か?
http://iyashitour.com/archives/24688/3
レオナルド ダ ヴィンチ
私を軽蔑するな 私は貧乏ではないからな
やたらに沢山のものを欲しがる者こそ貧乏なのだ 貧乏とは物質的に金銭的に足りてない者のことではなく
何でも欲しがる者のこと
つまり心が貧しい者のこと (金銭的に)貧乏でも満足している人間は金持ち、それも非常な金持ちです。
だが、金持ちでも、いつ貧乏になるかとびくついている人間は、
冬枯れのようなものです。
シェイクスピア著 『オセロー』 生活に“必要なもの”が揃っていれば、それは“金持ち”です。
しかし、それ以上の“快適なもの”を揃えている大金持ちが他にいると、
とたんに “貧しい者”になってしまいます。資本原理主義の中では、
生活に“必要以上”のものを持って初めて“庶民”であり、“必要過剰なもの”を持って初めて、“金持ち”になります。
搾取する側とされる側、気味の悪い勝ち負けが明確に色分けされた
場所で、自分の個性や判断力を埋没させている姿に貧しさは漂うのである。 実際これからの時代は、“勝ち組”“負け組”の二極化が進み、勝ち組は共食いを始め、
負け組は自殺者が急増するという予想もされています。
年収3000万円以上、資産1億円以上あって、初めて“中流”“小金持ち”とみなされるようです。
日本の平均年収約700万円、その弱肉強食の社会では、我利我利(ガリガリ)と他との競争で勝つことだけが美徳とされ、
共利共存の“弱きをたすけ”という情けを持つ余裕すら許されないでしょう。
そして必要以上のものを求めて、
今の自分を必要以下に見てしまうところに、“心の貧しさ”はやってきます 貧しい人ほど、外見や容器や量ばかり気にして、
肝心の“中身”に意識が向きません。某テレビで“幸せ”について語っている
某占い師の身につけた何百万円もする装飾品の数々は、逆にその寂しさと貧しさを語っている気がします。
大切なこととは、自分にとって必要なものが何であって、
今、苦しくとも自分を楽しませる気持ちがあるか? だと思うのです。
1000円、100万、1000万、10億、100億、1000億円…。
いったいいくらあれば、人は必要量を満たし満足するのでしょうか? 「10億円くらいあれば“ラク”に暮らせるだろう」…、
何のために“ラク”である必要があるのか? 本来ならば、1
0億円投資しなければ達成できない“夢”があって、初めて設けることのできる基準のはずです。“
楽しい”人生と“ラク”な人生の間には、 “死ぬほど生きる”と“死んだように生きる”くらい、かなりおおきな差があります。
年収も、偏差値も、環境も、外見も、結婚相手も、将来も、子供も、“平均”以上でなければ庶民にもなれないという考え方こそ、
“貧しい”ことだと思うのです。不足感故の、見栄という名の満足の“虚構”…。
私の思う“豊かさ”の基準は、
「好きな時に、好きなことを、好きなだけ行える自分」があることです 金がない、自信がない、好きなことがない…そう思い込むとき、本当に自分が貧しく感じます。
なぜなら、お金も自信も好きなことも、実は自分で創り出せるものであるからです。
たとえ状況を変えることができなくとも、「〜だからダメ」ではなく、「〜だからこそ」と、自分の心の状態を楽しませることはできるのです。
悲しいときは、オロオロしている自分を楽しめばいいのです。
極端に言えば、どんな自分でも、楽しむことはできるはずなのです お金を持っているからといって偉いわけじゃない、お金の遣い方を知っている人、
その品格・態度を持っている人が偉いと思います。
豊かさとは、人と比べた相対的なものでなく、自分の中にある“絶対的”なもので決まります。
私は、内面からにじみ出る外面の“豊かさ”を求めていきたいと思います。 ロンドン在住、元国連職員の著者が見た
「日本は世界で"かわいそうな国"だと思われている」衝撃の現実。
若者の自殺、「社畜」的働き方、「人付き合い地獄」の社会、
「みんなで不幸になろう」という足の引っ張り合い、
グローバルな人材なんて育つはずもないおかしな教育、何でも人任せで自分で考えない「クレクレ詐欺」。
空気を読み過ぎて「セルフ洗脳」に陥る日本人たち。
こんな日本人の「貧しさ」を、世界の現実と対比させながら問いかける。
『自分が日本でかかっていた洗脳。
競争しなくてはいけない、
家族や友より仕事、進歩は偉い、田舎はださい、自販機とコンビニは重要、電車とバスは定時でなければいけない、
痩せてなければいけない、
群れなければいけない、流行は追わないといけない。どれも自分を不幸にしていた。』 人の幸せは、心の持ち方次第です。もし物質文明が幸せをもたらすなら、私達はとっくに幸せになっていなくてはなりません。
しかし物質文明が進んだ今日、かえって心の不安が高まっているではありませんか?。
後進国の人達が物質文明に取り込まれるに従い、精神的苦しみや自殺や鬱、
ストレスが増大しているのはその良い証です。
心の病が多くなっているということは、その文明が誤った方向へ進んでいる証しなのです
勿論、物質文明にも意味はあります。でもその意味を知った暁は、一日も早く物質文明から卒業しなければならないのです。
キンピカ、キラキラ、天にも届く高層ビルが建ち並び、その間を縫うように高速道路が走るといった文明は、
その限りであることを知って下さい。 幼いうちは、どうしても華やかなものに目が行きがちですので、物質文明が栄えるのも止むえぬことかも知れません。
しかし大人になってくると、感性や本性が騒ぎ出しますので、科学や、哲学や、宗教など、精神的なものを求めたくなってくるのです。
人類は今物質文明に浸っていますが、やがてその儚さに気付き、精神文明に大きく舵を切るようになるでしょう。 精神文明とは、人の本質、精神、幸せ、宇宙の本質を詳らかにして真の喜びを発見し、
その喜びに少しでも近づこうとする文明です。つまり天の利を地に降ろし、天の幸せに劣らぬ幸せを地に開花させる文明です。
私達は幸せを勘違いして捕らえています。幸せは肉体が感じるのでしょうか?、
心が感じるのでしょうか?。心ですね。
ならば心に平安をもたらす文明こそ、真の文明ではないでしょうか?。
確かに便利さや快適さをもたらす物質文明は、心を喜ばす条件の一つではあります。でもいかに良い条件が整っても、
心に悩みがあっては真の幸せを掴むことはできないのです 物質文明は幸せを獲得する一手段ではありますが、目的では無いのです。
それに対して精神文明(真の自分を知る文明)は、幸せ得る目的そのものなのです。
なぜなら、真の人間を知らずして精神文明はあり得ないし、真の幸せもあり得ないからです。 今の物質社会が幸せなら昔の人は不幸だったのでしょうか?
そうではありません
今の時代の方が精神的に病んでる人
自殺者などは圧倒的に多いのです
物質社会では他人と自分を比べた時から
不幸は生まれます
人は他者と比べた時から劣等感が生まれるのです
http://lightworking.mobi/archives/71 私達の心は本来
思いやり 気遣い 優しさ 愛などにより
幸福を感じるのです
これが精神的な豊かさです 幸せになるために必要なのは、物質的豊かさではありません。
精神的豊かさです。
精神的豊かさが大切だということは、あることがきっかけで気づきました。
私の家庭は、比較的裕福です。
私が留学できたことも両親のおかげです。
別の言い方をすれば、お金のおかげです。
私は日頃から、高価な物を買っていました。
それもたくさんです。
物がたくさんあるほど、裕福だと思っていたのです。
そのため、以前の私の部屋には、物がたくさんありました。
しかし、違うことに気づき始めました。
高価な物がたくさんあっても、心からの満足感がないのです。
日常に困ることがないはずなのに、心の中は満たされていませんでした。 しかし、たくさん物を持たなくても、親しい友達が1人いるだけで変わりました。
すぐ心の中が満たされ、幸せを感じることができたのです。
もちろん物を持つことで幸せを感じることもあるでしょう。
しかし、精神的豊かさは、友達や家族など、人が大切です。
そうした経験があり、私は幸運にも幸せに気づけました。
大切なことは、精神的豊かさです。
本当は目に見えません。
もちろん買うこともできません。
幸せとは、当たり前のことです。 友達が優しく話しかけてくれたこと
両親からの教育
友達が誕生日を覚えてくれていたこと
自分のことを心配してくれること
誰かが助けてくれたこと
どれもささいなことですが、大きな幸せです。
自分の周りには、すでにたくさんの幸せがあることに気づきます。
それらは精神的なことですから、お金で買えるものではないし、見えるものでもありません。 しかし、生きるために大切なことです。
幸せになるために大切なことです。
それに気づきましょう。
幸せとは、手に入れることではなく、気づくことなのです。
幸せはそこから始まります。
今、置かれている状態がどれだけ幸せであるかということに、気づくことが大切なのです 古から自然を大切にし
自然との共生を大切にしてきたのが
昔の日本人達です
彼等の中にあったのが神道という理念です
自然は神が創ったものであり
人と自然 人と人との調和を大切にしてきました
精神文明の最もたるもので調和の国 和の国です
日本は戦前までそういう精神は根底にありました 「1」 メーソンというアメリカ人――1879-1914
彼は神道はインドの仏教より遥かに優れた精神原理で、よりよく現代生活に適し、儒教より内面的、哲学的、かつはるかに深遠で更に西洋文化よりすぐれていると言いました。
「2」 イギリス貴族のポンソンビー1878−1937
皇室の尊厳に憧れ京都に住み、生活の凡てを日本式とし京都御所には土下座で遥拝しました。かれは日本で神を見た英国貴族といわれた。
「3」 元フランス大使のクルーデル
私が決して滅んで欲しく無いと願う世界の中の一つの民族は日本だと。
「4」 米国のウエスト博士
日本の天皇を憧れ「私は絶海の孤島の漁師でもいい、山間僻地の百姓でも いい、日本人になり天皇陛下にお仕えしたいと。
「5」東京裁判のウエップ裁判長は
「天皇は神だ、あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなくてはできない」 「6」オーエンラチモア
「日本が立派にやりとげたことは、アジアに於ける欧米植民地の十九世紀的構造を破壊したことであった」と。
大東亜戦争の意義を讃えました。太平洋戦争とは私もいいません。
これはアメリカに都合のいい言い方なのです。
「7」オランダ国 アムステルダム市長
「日本は各地で侵略戦争をしたとペコペコ謝罪していますが、間違いです。
あなた方こそ、血を流して、アジア民族を解放し、人類最高のよいことをしたのです。
本当は白人が悪いのです。日本は敗戦しましたが、アジアの解放は実現しました。日本軍は欧米諸国すべてをアジアから追放しました。その結果、アジア諸民族は独立を達成しました。日本の功績は偉大です。
血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑むのを止めて堂々と胸をはって、その誇りを取り戻すべきです。」 「8」英国人ビッケン名古屋商科大学教授
「キリスト教文化は、科学、哲学、産業革命を生み出し現在の経済中心の世界を作り上げた。だが、
ユダヤ、キリスト教を中心とする宗教は、闘争に明け暮れて、疲れ果てている。
これは人間と自然との関係を排除してきたからだ。
自然と人間、人間と人間の調和・共生を求める日本の古神道に帰らねば人類は救われない」
「9」 韓国人 金ワンソプ氏--親日派のための弁明より
「私の個人的な意見を言うなら、日本の神道は人類が作り出した、
もっとも理想的なたかちの宗教だ。」
「10」 フランスのエリート
「十数年前フランスの若いエリート達が伊勢神宮を見て自国の聖地は伊勢神宮程の精神性は無いと言った。
他の学者も伊勢の荘厳、森厳の静寂に宗教の根源的なものを感じた。」 「11」 アメリカ女性歴史学者 ヘレン・ミアーズ
「日本の伝統神事は肉体的満足の対象である食物、
精神的満足を齎す(もたらす)自然美への感謝の儀式だ。」
「12」 日本に宣教師ザビエルが来たのは足利時代
ザビエルは記録に残している。
「日本人たちは、キリスト教の諸地方の人々が決して持っていないと思われる特質を持っています
それは武士たちがいかに貧しくても、そして武士以外の人々がどれほど裕福であっても、
大変貧しい武士は金持ちと同じように尊敬されています---。
武士以外の人々は武士を大変尊敬し---。そして、日本に来るなら、真の謙遜が必要」。
「13」小泉八雲
「日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考え、
山川草木から井戸、かまどにいたるまでそれを司る神を見る。
日本人はこの国土を創造した神々の子孫である。
神道とは、その祖先崇拝の思想で、死ねば霊となって子孫と国を守ると考える」 14」 ポルトガル人・モラエス 1854年--1929年
「日本には西洋世界に無い、他人を疑わない人情味あふれる人間関係がある。
平和で優美な日本の環境のとりことなった。」
「15」 フランス作家 オリヴィエ・ジェルマントマ
「日本の霊性に感動した、その霊感から発する日本の文化、芸術、文学を愛し溺愛する。
私は師であるアンドレ・マルローを那智の滝に案内した。その時、マルロー師は叫んだ、
滝の中にアマテラスを見た、と。神聖とは何かを日本でつかんだと話された。
神道の中に神聖を体感されたのである。」
「16」 米国オハイオ州 コーイチ・パリッシュ氏 ワシントン州 「神ながら神社宮司」
「神道こそ神に近づく道であり、手順であり、それを厳格に実践することで、
深く霊性を開発し、人格を高めることができるものである。
神道はわれわれ地球人にとって必要不可欠で「人類の宝」と確信する。」 17」アーノルド・トインビー
トインビーは神道を高く評価し、「日本の活路」で言った。
「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、その見返りとして心理的ストレスと絶えざる緊張にさらされている。
それは産業革命がもたらすまぬがれない代価である。ところが神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説いている。
日本国民は、自然の汚染によってすでに報いを受け始めているが、
実は神道の中にそうした災いに対する祖先伝来の救済策を持っているのである。」。
物質文明が避けられない災いを救う宗教であると言っている。
「18」アーノルド・トインビー
昭和42年に来日した歴史学者トインビーは、真っ先に伊勢神宮に参拝して、千古の神宮林の繁る神域に立ち、
「すべての宗教の基底になるものが伊勢神宮にあると感じ」毛筆で神宮に記帳した。
「19」社会学者エマーソン
「日本の神社、鎮守の森の中に神聖がある・・・・・」 20」ドイツ植物学者ヒューセン博士
「日本人が生活環境に郷土固有の神社林を保護育成してきたこと、
また山岳地帯には祖先伝来の原生林がまだ存在することとあいまって、
日本民族の優秀な資質育成に大きな効果を果たしてきたことからも、
現代人はこれらを大切に守って子孫に伝える責任がある。
ヨーロッパ諸国では、放牧により早くから原生林を失い、その弊害を補うために人口植林に努めている。
日本の社叢などを見て祖先の賢明さに敬意を表する」と神道の鎮守の森との関係で味わうべき言葉を残している。
「21」アルベルト・アインシュタイン博士
1933年来日した時の発言、「世界を驚かせた近代日本の発展は、
一系の天皇を頂いていることにある」と分析し「戦いに疲れた世界が求める未来の盟主は、武力や金力ではなく、
あらゆる国の歴史を抜き越えた最も古くて尊い家柄である天皇家を頂くアジアの高峰、日本である。我々は神に感謝する。
我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」と絶賛した 日本人の道とはなにか?
神道
武士道
空手道
合気道
柔道
剣道
茶道
弓道
華道
北海道(笑) 日本人の道とはなにか?
日本人は本来のあるべき道を
外してしまったが為に
現在の世の中のように歪んでしまっているような気がします。
いまの世の中は隠されている部分の方が実体としては大きいのです。
あらゆる分野を多角的に見極めて、初めて見え てくるものがあります。
全体をとらえる事で、新しい未来を描 ける事があります。
私たちは細分化時代に生きているとも 言えます。
極度に専門性が高くなり、「木を見て 森を見ず」となってしまい、
バラバラ に社会を組み立ててしまっている事が 社会のひずみを生んでしまっています 地球全体、社会全体を見つめる事を失 ってしまっているからこそ、多くの対 立が存在するのです。
これからの新しい未来や社会を残して 行く為には、広い視野が必要です。
広い視野により本当の自分の使命や役 割に気づく事もあります。
右や左の政治思想に偏る事無く、
スピリチュアルや自然派だけにも偏る事無 く、
または目先の生活や経済ばかりで もなく、
表面的な情報や裏情報に惑わ される事無く、
その為にも日本人の本来のあるべき道に戻らなければいけない気がします 道の大元は結局のところ
神道になるわけです。
いま一度
縁のある 誠の日本人の方と
地球レベルで地球をよくする実践を
していけたらと思います ちなみに
神道とは
一神教ではなく
教典をもたず
押しつけがましくなく
誰もが気軽に(神社に)お参りできる
これだけで
すでに
既存の宗教の枠組みには
存在しないことが
日本人には
理解できます。 外国は教え
日本は道
今の時代、人間が説いた教えでは駄目なようです。
誰かに教えられそれに従順に従う宗教ではなくて
それぞれが互いに
内在する神性を認め合い
尊重し
生かし合いながら
ともに栄える
【道】
でなくては
これからの混沌とした時代は乗り切れない 神道とはもっとも古く
かつもっとも新しい理念であると言われる。
思想や哲学がないと海外から指摘される今の日本は
ともすれば破滅の方向に向かわんとしている
人類社会を根底から
救済する偉大なる理念が
巌(いわお)として存在している 上西議員にサポーターらから非難の声が殺到したほか現役選手まで参戦する騒動になっている。
上西氏はここで我慢の限界を迎えたのか、
「サッカーの応援しているだけのくせに、なんかやった気になってるのムカつく。
他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ」と暴言を吐いてしまった 騒動を念頭にしてか、スポーツ番組でキャスターを務めた経験もある小島は
「SNS上で品のない汚い言葉使いをしたり、ひとを傷つける発言をしちゃうひと。
心が満ち足りてないのかなあ」と切り出すと、上西氏を名指し「
北海道旅行してみるのはどうかな」
「サクラマスが滝を登る姿、健気でしたよ」と笑顔の絵文字付きで勧めていた 「まちに関わりたい」。少しでもそんな気持ちがあるのなら、
あなたのまちの商店街に、ふらりと足を運んでみてはいかがでしょうか。
元気の良い魚屋さん、健康に気を遣ってくれる八百屋のおばちゃん、
自分の店を開く若者。きっと「また、会いたいな」と思える人に出会えるはず。
その出会いが、あなたが自分のまちに関わり、自分らしい生き方を見つけるきっかけになるかもしれません 京都に住むメリット デメリット
https://www.reviews-tower.jp/chie/2680
デメリットは夏とても暑い
冬とても寒い
交通の便がやや不便といったところでしょうか 国内、国外問わず、憧れの地といわれる『京都』。
どんな不便な田舎(環境)でも、住み慣れてしまえば、住みやすい都のように、住み心地の良い土地と思える…
どこかで聞いたことのある「ことわざ」ですよね。
そう『住めば都』です。改まっていうことでもありませんが
でもよく考えてください。京都にはこの言葉は全く当てはまりません なぜなら、このことわざにある「都」そのものだからです。
住めば都?いいえ、住む前から都。
「1000年の都」といわれる京都こそ、真の都の名に相応しいのです。
そんな京都ですが、住んでみないと分からないこともあります。 世界で最も影響力のある米大手旅行雑誌「トラベル+レジャー」の読者投票による2015年の世界の人気観光都市ランキングで、京都市が2年連続で1位に選ばれています(2015年時点)。
これは、日本の京都市が世界一訪れたい場所ということです。
地球規模で京都市という場所は『地上最強のホットスポット』ということになります。 ・ネコ科の一番小さな動物は最高傑作である。 ―レオナルド・ダ・ヴィンチ
・ネコは人が思っているよりずっと利口である。そしていつでも犯罪を習得させることができる。 ―マーク・トウェイン
・犬を飼うことは出来る。だがネコの場合はネコが人を飼う。なぜならネコは人を役に立つペットだと思っているからだ。 ―ジョルジュ・ミケシュ
・ネコを嫌う人には気をつけろ ―アイルランドのことわざ
・人が拒絶を理解するには、ネコに無視されればよい。 ―アノン
・自分の家が大好きだからネコが好きだ。しばらくしたらその二つは見える魂になる。 ―ジャン・コクトー
・惨めさから抜け出す慰めは2つある。音楽とネコだ。 ―アルベルト・シュバイツァー
・ネコに迎え入れられることより心が暖まることは、人生にはそうない。 ―テイ・ホホフ
・トラを抱きしめる喜びを知りたがる人間のために、神はネコをお創りになった。 ―フェルナンド・メリー ・ネコは犬よりも利口だ。雪の上でそりを引いてくれるネコを8匹も集められない。 ―ジェフ・ヴァルデス
・我々は心の奥深くに同じ欲望がある。ネコはそれに沿って生活している。 ―ジム・デイヴィス
・ネコの目には、全てのものはネコに属していると映っている。 ―英語のことわざ
・この世でどうネコに接するかが、天国でのステータスを決める。 ―ロバート・A・ハインライン
・どれだけ多くの時間をかけても、猫との良き思い出は消えない。どれだけ多くのテープを使おうと、ソファに残されたネコの毛は取り除けない。 ―レオ・ドウォーケン
・一匹のネコから次へと広がる。 ―アーネスト・ヘミングウェイ
・ネコの飼い主が知っているように、誰もネコを所有していない。 ―エレン・ペリー・バークリー
・ネコを嫌いな人は、来世ではネズミとして戻ってくる。 ―フェイス・レズニック ・ネコも当然男の親友になれるが、ネコはそれを認めてはくれない。 ―ルイス・J・カミュティ
・ネコはどこに座れば不便になってしまうか、その正確な場所を数学的に計算できる。 ―パム・ブラウン
・ネコは気にかけてくれる。例えば本能的に、我々が何時に仕事に行かないといけないのかを知っており、目覚まし時計がなる20分前に起こしてくれる。 ―マイケル・ネルソン
・ネコは床が水であるかのように体を投げだす。 ―ウィリアムス・リオン・フェルプス
・ネコは人間に対する意見を持っている。ほとんど何も言わないが、全部を聞かないほうがいいのは確かである。 ―ジェローム・K・ジェローム
・ネコのようにミステリアスに書けたらと思う。 ―エドガー・アラン・ポー
・ネコの愛より偉大なギフトがあろうか。 ―チャールズ・ディケンズ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています