「女の子同士が手をつなぐ」ことから始まったプリキュアが「男の子同士が手をつなぐ」までに至ったことに祝福を

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00000012-it_nlab-ent

 プリキュアという女児向けアニメーションで、「直接的な」イジメやジェンダー観について踏み込む必要があるのか? 
そんなのは大人向けアニメーションでやれば良いのでは? と思う方もいるかもしれません。

 そんなことはありません。プリキュアだからこそ。子ども向けアニメーションだからこそ。
これらの表現に踏み込むのが「今の時代のプリキュア」であると僕は思います。」

プリキュアというコンテンツは「子どもと一緒に大人が見る可能性が高い」という性質上、
そこで提示された思いは、大人の古い考えもアップデートする力がある、と僕は思うのです。

「プリキュア」という作品にとって「手をつなぐ」というのは最上級に特別な意味合いを持っています。
性愛的な意味だけではなく、博愛、信頼を含めたあらゆる好意的な感情が「手をつなぐ」という行為に収束されているのです。

 なぎさとほのかという女の子2人が手をつないでから14年。
ようやくプリキュアという作品で「男の子2人が手をつなぐ」描写が実現しました。

 プリキュアを始めとした子ども向けアニメーションにおいて、ポリティカル・コレクトネス(政治的、社会的な公正)が
挿入されることには、僕は大賛成の立場です。

 子どもと一緒にプリキュアを見ることによって、保護者の方の「古い価値観をアップデートすることができる」と
信じたいですし、何よりも「見るアニメを自分で選択できる大人」と違い、保護者に視聴を制限される
可能性もある子ども向けアニメーションにおいては、せめてその中でも多様な選択肢を提示してあげたほうが良いのでは? と思うのです。

 そういった意味でも、僕はプリキュアという作品で「イジメ」「ジェンダー」「高齢化」「同性愛」
など社会的な問題を「直接的に」扱うことに賛成です。