>>880
<citation>
お前が想いすらないと感じれば
</citation>

私が言っているのはシコ豚に向けることを主題としているならば、そこにある想いはシコ豚向けの描写を映すための道具に成り下がる即ちシコ豚向け描写に続く二の次的存在できしかなくなるという事
これは何度も言う通り、想いがないという意味ではないわよね
シコ豚向けとすることと想いがないとすることを同義にされたら困るわ
別にシコ豚向け=想いがないにはなる訳ではないでしょう
そして、
<list:fact>
<f:そのシーンの内容はR18とされる程度の描写>
<f:そのシーンが作品の大半を占めている>
<f:アニメ化するに当たって、あえてそのシーンを選んだ>
<f:Blu-rayに抱き枕を抱き合わせている>
</list>
を踏まえればシコ豚に向けているというのは一般性を得ると思うわよ


さて、これが「想いがあることとそれが言い訳であることの矛盾」にどう関わっていくのかしら