俺の人生ではいつもそうだ。俺がモタモタしているといつも“鬼”がくるんだ。

鬼が来て、せっかく積んだ石を蹴散らしていく。偉そうな、強そうな顔をして。

全部蹴散らして、周りに俺の恥をバラまき散らして帰っていく。

周りの奴らは俺に近づかず、かつここで何があったか気づかないフリをしながら自分らの仕事を再開してゆく。

貴様らが全て知っているということを俺は知っている。
俺は瞬間的にそう思ったのだろう。もう正確には思い出せない。あの時何があったのかと問われて即時正確に思い出せるような、そんな性能の良い脳ミソを俺は持ち合わせていない。

もう俺にはわからん。
とうに済んでしまったその後でこれは何故なのかこれは何故なのかと責められても。

とにかく、早くしなければしなければならない、“そんなことはいいから、とりあえず先をやろう”と思ったのだ。

これ以上、何をどう説明すればいいのか!?

「じゃあとりあえず先をやろうと思った理由は何なのか」か。それが永遠に続くのか。

「aです。何故ならばbだからです」
「何故bなのか」
「bはc故にです」
「何故cなのか」
「cはd故にです」
「では、何故dなのか」
「…dはe故にです」
「何故にeなのか」
「……eはf故にです」
「では、何故にfなのか」
「(それは∞にございます、老師)」

螺旋の無限回廊。
悠久の禅問答。
上を下へ、下を上へ。

最終的には、お前は何だ?お前という存在は何ぞや?という未だ俗世の人間ごときが到達できぬ究極の問いへとインフラを遂げることであろうよ。

貴様らは真言宗の僧侶なりや?

貴様らに納得のいく説明を食わせることは即ち、俺が自分の考えや感情やそのときに思った本当のことを“偽る”ということだ。

わかるか。“偽り”だぞ。いいのかそれで。

貴様らが俺を問いつめれば問いつめるほどに、俺は自分を偽ることになるのだぞ。それでいいのか。

(中略)俺は釈迦ではない。悪鬼だ。人間以下の悪鬼だ。

貴様らは、たとえ俺が本心からものを言ったところで、それが外国語のように意味不明なものに聞こえ、かつその意味を理解できず、かつ意味が理解できない故にまるで野蛮人が自身の文明に侵入してきた西欧列強の輩に対してした如く、幼稚な反逆をもって応えるのであろう。


笑い事だ。