生きる意味
生きる意味は突き詰めれば無いのです。
原始時代の私達はそもそも野獣達に立ち向かう術すらなく、ただただ夜を恐れて過ごしておりました。そうして現代ではそんな命の危機に貧することは無いわけです。犯罪に巻き込まれるリスクはあるとはいえども
「死なないため」の命題がなくなったら、モチベーションが無くなるんですね。だから、「何故私は生きているのか」と向き合う。とくに現状の生活に激しく不満のある人は。

ガンを宣告されたり命にかかわる危機を乗り越えた人が別人のようになる事があります。それは「死」に明確に向き合うからです。自分の人生に限りがあることを明確に感じたり、いきなり死にそうになった瞬間に人は「自分の人生って何だったんだ」とようやく向き合う。
「生きる意味」じゃなく「死ぬまでに何をしたいだろう」という逆算が始まる。

ひどい言い方をすると、「生きる意味」に長時間向き合ってしまってる人はよっぽど暇人なんですね。これは別に馬鹿にしてるんじゃなく、周囲の環境含めて「暇」を作ってしまってるのが原因。

■誰も彼も「生きる意味」には「蓋」をすることでしか対処できない
 この問題はそもそも向き合うことが間違っています。だって答えが無い
のですから。唯一の生活は「死なないため」だけなんですから。だから、せめて苦しくならない正解としては「そもそも考えない」「そんな問題からはさっさと逃げる」ことが
大事。
こんなの人類の永遠のテーマでもうとっくにずーっと前の偉い哲学者とかが向き合った命題です。考えるよりそちらの方々の本を読んだほうが早い。
ようは貴方はただ暇なだけです。また忙しくなればいいだけです。引き続き、誰かのために、社会参加しながら。そして、死なないために。
自分がやりたいことが見つけられてない人は、焦る必要はない。人に、コンテンツに、勉強に、お金儲けに、とにかく何でもいいからハマりましょう。
そしたら、この悩みからはもうおさらばです。
きっと数年後に気づくはず「何でこんなこと悩んでたんだろう」って。
それくらい、自分で内向きに悩むには意味を成さないテーマだったりするのです。

また、常日頃、無駄に他人の気持ちを考えすぎている人も多いと思いますが、人は生きるためだけにシンプルに生きればいいんです。
他人からの印象や他人との生活の比較なんてどうでもいい、他人から見られることだけを気にする他人の人生を歩むのではなく、自分の人生を歩みましょう。