ここで言いたいのは、そこでそれが真なる募金だったとしてもだ、そこでやっとスタート地点なわけよ
それでもってしても、そこで募金をしなくても全然いい、悪くない
金額の多か(変換できない、面倒だからこのまま書く)に関わらず、れっきとしたこちらの財産をただただくれる道理はないから
こっちだってすべてのこの財産は必死こいて稼いだもんだから少したりともくれる義理はない、それは悪くない

だから真なる募金だとしてもだからと言ってもらえると思うなっつうこったと言いたいのだまずは、まずそこだ
そんなもんはいくら切実な真なる募金だとしても、こっち側(払う側)の自由なのだ

はい次おれが気になった二点目
それが真なる募金だったとして、前にも書いたがなぜそれがおれなんだってことだ
その当時なかなかの混雑で、その時点でも何百人とそこを人が行き交っていたし、おれがそこを通りかかる前後の時間も合わせたら何千人と通っていたぞ
その何千人の中から、栄えある募金者はなんでおれなんだ、おい説明しろ

これが仮に、そこを通りかかった一人一人全員に詰めよって「募金してくれませんか」と頼んでいて
その経緯で遂に順番でおれのところに回ってきたなら、少なくともその質問自体は快く受ける

だが、そいつはそこの何千人、瞬間的にも何百人といた中からおれのところにスススーときて金出せとか言いやがったのが気に入らん
(そのあと全員に回るならよし)

この何百人の中からおれという不公平と、真なる募金かわからない不保証性から
とてもとても、逆にもう滅茶苦茶募金したくてしたくて仕方がなくても、そういうやつには募金なぞできなかったのだ

というわけで「急いでる」と言って断った