神様よ、俺を虐めるのはもう止してくれないか?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
人の運命ってのは生年月日でみんな決まってるんだよ。 ヤバい最近体調不良が続いてる。
普段からついてないのに体調まで悪くなるとわな。 いいスレ見つけたと思ったけど過疎りまくってるな
俺の人生糞神によるいじめとしか思えない なんか立場的にいつも一番下っ端のポジションに入ってしまう。
当然上から都合のいいようにばかり物言われる。 せめて一つくらい心の支えを与えてくれても良かっただろ
神のヤロウ! なんかもう全て消えて無くならねーかな
小惑星とか衝突したらいいのにな
そうだ、誰かコロニー落としやってくれよ 日本人なら理解してるはずだけどな
神様がどうこう決めてるわけじゃない
つまり神様(人格神)が場合によって手助けもできる
人間の世界だって同じでしょ
決めているのは自分だ 無意識に選択すると自分にとってよろしくないことになる
だが、よろしくないことが起きるって、見方を変えるチャンス、選択を変えるチャンスだ
この好循環ができると、よろしくないことはそうそう起こらないし、起こったとしても
「同じように」対処するまでだ
お金を嫌っていながら、お金が欲しい、お金がないと困るなどと反応してたら
そういう世界に行き続けることになる そういう世界を自分で選択しているからだ 中共・小鮮・奸国と実際に戦ったらどうなる?wwww
爽快で示唆に富んだ「東京都=精神」の自主独立(インデペンデンス)の物語りです。
現実路線のお話し。
↓
★『東京独立戦争(だれも書かなかった日本)』★
http://slib.net/77259
上松煌(うえまつあきら)
http://slib.net/a/21610/ (プロフィール) (シルバーバーチの霊訓より)
宇宙の大霊すなわち神はあなた方人間を通して流れるのです。 もし人間が確固たる不動の冷静さを保ち得ずに怖じ気づいてしまえば、
その力は発揮されません。 あなた方一人ひとりが神なのです。 神はあなた方から切り離された何か別の存在ではないのです。
宇宙の大霊というのは何か形のない遠い宇宙の果てにふわふわと浮いている靄のような存在ではありません。
人間の内奥に宿された霊的な資質を発揮すればするほど、それだけ宇宙の大霊をこの世に顕現させていることになります。
霊が進化するということはそのことを言うのです。そうやって個性が築かれていくのです。成長するというのはそういうことなのです。
まだまだ地上の人類は、悲しみ、艱難、辛苦が存在することの理由を理解しておりません。 その一つひとつが霊的進化の上で大切な
機能を果たしているのです。 ご自分の人生を振り返ってごらんなさい。 最大の危機、最大の困難、お先まっ暗の時期が、より大きな
悟りを開く踏み台になっていることを知るはずです。 日向でのんびりと寛ぎ、何の心配も何の気苦労も何の不安もなく、面倒なことが
持ち上がりそうになっても自動的に解消されてあなたに何の影響も及ぼさず、足元に石ころ一つなく、自分でやらねばならないことが
何一つ無いような人生を送っていては、向上進化は少しも得られません。
困難に遭遇し、それに正面から立ち向かって自らの力で克服していく中でこそ成長が得られるのです。 人生の意味は苦しまないことではないのです。人生の意味は単に幸福になることではないのです。人生の意味は豊富な経験を積むということなんです。
この豊富な経験を積むということ自体が人間が転生輪廻をするという意味なんです。ですからいろんな苦しみがあるでしょう、悩みがあるでしょう、それはむしろ有難いことなんです。心の中に富を積むということなんです。別に苦しめと言っているのではないんですよ。
ただ苦しみのない人生はありません。 それがとっぱらわれたら幸福になるかと言えばそうではないということです。そういうものがなくなるならば、あなた方の人生は非常に安っぽいものになるということなんです。
悩みを抱きしめていったときに新たな経験を人間は積んでいくのです。どうも安易に人間というものは救われたい、幸福になりたい、こう思ってしまいますけれども、幸福になったと思った瞬間その幸福はすり抜けていくのです。 不幸と闘っていく中にこそ本当は魂の糧というものが貯えられているのです。
ですからそれぞれの人に、その人に応じて、いろんな環境が用意されていますが、それはその人のために用意された環境です。他人の環境をうらやんでも仕方ありません。
自分の環境の中で魂の糧を得ていくということです。 ですからたとえば自分にある運命、ある環境が与えられた場合に、その環境を呪っちゃいけないんで、そういう環境が与えられた意味をよく考えてみるということです。
その中で、自分にしかできない経験が、考えが、人生観が、何か出てくるのではないかということをしっかりと見つめて頂きたいということです。 あなたが有名な政治家で、総理大臣に現在なっているとしましょうか。売れっ子芸能人でも、漫画家でもよいです。逆にそのような地位にある方であるならば、かえってできない束縛、制約が多いのです。そういうことです。自分の人生を愛しなさいということです。
別な言葉で言うならば自分にしかなかったその個性ある人生を愛しなさいということです。 悩みや苦しみの中で何とか脱出しよう、脱出しようと焦っておられるのです。
その脱出しようという気持ちを止めて、現在ただ今の自分の心を深く見た時に、そこに悟りという名の一輪の花を見出すことができるということなのです。 それは自分の運命を抱きしめるということです。
自分の運命を呪うとか、逃れるんじゃなくて、それを抱きしめた中に光がほとばしってくるということです。
ですからあなたも人生を愛しなさい。自分の人生を愛しなさい。
あなたの人生を他人の人生と交換することはできないのです。ですから、あなたにしかない固有の人生なんですから、その人生を愛しなさい。人生は愛しようとした時にはじめて自分の人生がいかに素晴しいものであったかということが分るのです。
自分の人生から逃れようとしている時、そこに幸せはないのです。 不幸な人というのは自分の人生を呪っているんです。人生を呪っていて人生がほほえみかけることはないのです。
ただ現状から、逃れよう逃れようとする心の中には、また新たな苦しみを作っていくということなんです。
地球は住みにくいから宇宙に逃れたら人は幸せになるかといえば、そんなことはないんです。そこには新たな苦しみが出てくるでありましょう。
ですからこの地球上では幸せになれない人は宇宙空間に出ても幸せにはなれないということなんです。 地上の人間といがみあっている人間がね。地球から脱出して天国に逃れたところで、そこにはユートピアはできないということです。
環境が悪いと思っているんです。周りが悪いと思っているんです。神様が悪いと思っているんです。これは皆んな地獄にいる人たちです。 神様俺を愛してください
何があっても真実の姿が露呈しても、見離さない強い愛をください 神様が求めているのは
困難があっても人間同士お互い助け合って生きることなんだよ。。。
そのために人それぞれに違う個性、違う能力を授けたのです。 人を助けるのは神様じゃない。
人を助けるのはあくまで人なのです。
そして人に助けられるには自分が助けられるような人に
なることなのです。 やっと何かを受け入れる胆力を身につけたと思ったらそれより辛いことが起きる…もう死にたい 自己肯定感が高く強気の奴はピンチすらチャンスに変えてしまう、
自己肯定感が低く弱気な状態の奴は起きている事に向き合えず
後ろ向きに逃げてチャンスすらピンチにしてしまう。 人生において、行き詰まりを感じない人はいないはずです
行き詰まりとは心の閉塞感であり
知恵と努力が足りない人が打開に苦しむのです
何事にも行き詰まりがあるから発展するのであって
駆け出し過ぎては息が続かないので、一休みするのと同じわけで
いわば「節」と言えるのです
これは「竹」を見てもわかるとおり、伸びては節ができ
伸びては節が出来るから、丈夫に育つわけで
伸びるばかりで節がなければ強靭な竹とはならない
したがって節の少ない竹ほど弱く
節の多いほど強いのは
自然を見つめればわかるものです
人生の壁や試練の少ない人は
弱くて伸びず
壁や試練が多く、それを乗り越えて来た人ほど強くて伸びる人なのです 友達から教えてもらった稼ぐことができるホームページ
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
HF7X6 この世の乱れは言葉の乱れによって生まるるものなり。
なれば、人は言葉正せよ。
言葉は波動なり。
清く美しき波動は世の中に平和をもたらす。
汚き言葉なるはこの世歪ませ、不幸へ貶める。
悪しき言葉で人をなじらば、その思い全て己に跳ね返る。
ゆえに悪しき言葉を使う者はいかに努力を為そうとも、いつまでも不幸なり。 >>460
実に気味の悪い世界だな皆ベッキーかよww
そんな奴ほど化けの皮は剥ぎやすいわ 全ての事は自分の心がけ次第なり。凶運の原因は自心にあり 神様ってのは挫折して傷ついた人間が
一時は羽を休めていても
このままじゃいけないと立ち直って
それでもと立ち向かった時に初めて守護するんだよ。
そういう経験がない人にこの感覚はわからない。
>>464についてるのは神は神でも貧乏神。 絶望の淵に立たされたらそんな感覚無くなる
そういう経験がない人にこの感覚はわからない そういうこと言う奴に限って
たいした絶望じゃない。 この世の乱れは全て言葉の乱れが原因なり。
悪しき言葉は剣の如く、人の心に突き刺さり、人の魂を傷つける。
さらに、その剣は己自身にも突き刺さるものなり。
汚き言葉、下品なる言葉、人を貶める言葉を発するは自らをも貶めることとなる。
人との関係うまくいかずば、人のせいにするなかれ。
いざとなる時、人の助け得られぬは己自身のありかたに原因あり。
良き縁も悪しき縁に変えるは、自ら発する悪しき言葉なり。
一人一人が気をつけ、良き波動の言葉発せば、この世は必ずうまく収まることとなる。 >>473
そうかすまない。
ただ俺はこのスレをざっと見ただけなんだが、神は逆説的な存在かなと思ったんだよ。
つまり、平等を説きつつ虐めとしか思えない試練を与えうる神=不要で無価値な存在なんじゃないかとね。
だからこそ神や仏を真顔で語る連中には嫌悪感しかないと言った。
それとも君は本気で神の存在を肯定した上で、その神が虐めてくるからどうにかしてくれと乞うつもりなのかい? 神は人類をあっさり滅亡ではなく
ジワリジワリなぶり殺すつもりらしい
やな奴 (シルバーバーチの霊訓より)
(問)「なぜ魂は肉体に閉じ込められたのでしょうか?」
(答)「種子が暗い土の中に埋められ、そこから勢いよく成長するための養分を摂取するのと同じです。
人間の生命の種子も霊的生命を勢いよく成長させるための体験を得るために、肉体という暗い身体に閉じ込められるのです。
人生体験も大きな生命機構の一環なのです。
およそ有りがたいとは思えない体験 −悲しみ・辛い思い・嘆き・苦しみ・痛み− こうしたものは魂にとっては貴重なのです。
しかしそれを体験している最中にはそうは思えません。
こちら(霊界)に来て地上生活を振り返り部分的にではなく全体として眺めた時に初めて、人生の価値が鮮明に理解できるのです。
逆境の中にあってこそ性格が鍛えられるのです。
悲哀を体験してこそ魂が強化されるのです。
私たちは人生を物質の目ではなく霊的生命の知識に照らして眺めます。
その次元では完全な公正が行われるようになっているからです。
ですから賢明な人とは全ての体験を魂の成長にとって有益となるように受け止める人、試練にしりごみせず誘惑に負けることなく困難に正面から立ち向かう人です。
そういう心構えの中においてこそ人格が成長し強化されるからです。」 幸せをよぶ人は、日常の生活が安らかで静かであることはいうまでもなく、
夢みる魂までも、和やかである
不幸をよぶ人は、日常の言動が悪どいことはいうまでもなく、
その声音や笑い声までも、まるごと人の心を逆なでする 大自然の法則は完璧です。
「原因があれば結果があり、その結果が新しい原因となって、また次の結果を生んでいく」という法則です。
その間に何者も介入することを許されません。偶然もありません。幸運もありません。ただ法則があるだけです。
法則は絶え間なく機能し、変化することもなく、人為的に変えることもできません。法則の中から都合のよいものだけを選ぶこともできません。絶対なのです。
私がいかにあなた方の幸せを願っているとはいえ、あなた方に代わってその責任と義務を遂行してあげるわけにはいかないのです。
心に思うこと、口に出す言葉、そして実際の行動――このいずれにも責任をとらされます。あくまで自分が責任を負うのです。 いないと思っててもスレタイのように思えてしょうがないときがあるんだよ
証明などどうでも良い アパートの鍵を落としてしまい、家主は遠くに住んでいて夜になると電話に出なくなるので青ざめた
ああまたオレだけこんな災難かよとガックリ
バイクで20kmは走ったあとだから普通は諦めるところだが必死で探したら30分後にみつかった、奇跡だ
暗い道端で側溝へ落ちるギリギリで発見、際どい・・・
今回はやれやれで済んだけどまた嫌な思い出が一つ増えちまった 先祖「良い時代になったものだな」
私:「は?」
先祖:「欲しいと思えば何でも手に入る。何ら代償もなく。良き時代になったものだ」
私:「手に入らない物だって沢山ありますよ?お金も必要だし」
先祖:「私の時代は水を飲むのも、川より桶にて運ぶよりなかった」 先祖:「結婚もお家の存続のために過ぎなかった。好いてるかどうかなど無関係」
先祖:「ひとたび戦が起これば命の危険もある。日照りが続けば飢え死にだ」
先祖:「私の時代の人間には、人生を天に任せる気持ちがあったものだ」
私:「天?」
先祖:「生きるも死ぬも自然次第。人生のほとんどは、どうにもならないことをわきまえていた」
私:「はい」 先祖:「おのれが苦しむ理由について問うたな?」
私:「はい」
先祖:「簡単なことだ。天意に沿って誠実に生きようとするよりも、自分の欲望を満たすことばかりを考えるからだ」 先祖:「本当に今は良き時代になった。良き時代になったゆえに忘れてしまったことが実に多い」
私:「・・・」
先祖:「求めることばかりで、他人に与えることを知らぬものも多い」
先祖:「お前たちを見ておると、なんでも代償なく手に入るように見える」
私:「そうかなぁ?」 先祖:「では、今、お前がやっているものはなんだ」
私:「5chだけど」
先祖:「その5chができるのはなぜだ?」
私:「作った人とか、維持したり、管理する人たちがいるから」
先祖:「そうだろう。お前が良く使っているそれらのものは、私の時代からは考えられぬほどの便利な道具だが皆、当たり前のように代償なく使っておる」
私:「でも、これはちゃんと利益に繋がっているみたいですけど」
先祖:「そのようなことは関係がない。当たり前と思い、感謝も忘れ、便利さの中に溺れれば自分を見失うのだ」 先祖:「私の時代では、神社に詣でる時には、必ずや心をこめ、お布施をして感謝の気持ちを表したものだ。たとえ、どんな生臭坊主が住職の寺であったとしてもだ。常に天道に恥じぬ生き方をするのが当たり前であったからだ」
私:「でも、それと私の苦しみとなんの関係が?」
先祖:「まだ、わからぬか!なんの代償も払わずに何でも得られる時代は、知らず知らずのうちに自己中心的な想いを肥えらせるだけなのだ」
先祖:「その結果、自分の欲望で自分を苦しめている。これが人が苦しむ最たる理由なのだ」 先祖:「天意に恥じぬ生き方とは何かを学ぶこと。私の時代は論語や孟子を読んでは自らを律したものである。また、進んで労苦を引き受ける気概、何かを得る時には感謝とそれに対する代償があることを理解すること。このことをよく考えてみよ」
私:「自分だけの幸せや願望を満たすことばかりを考えずに、誠実な人であるためにどうあるべきかを考える。それから、得られていることへの感謝を忘れないということですね」 人の苦しむ原因は、現代の利便性とエゴの増大化に関係があるそうです。
便利な日々を過ごすうちに、得ることばかりを考えて、大切な生きる道を見失っているとのことでした。 何にせよ自分一人が傷付くだけで済むなら結果オーライ お前たちのなかに、この私の文章を読む者のなかに、地獄に行く者は多いであろう。
そして、そこで見る光景は、身の毛もよだつ光景であろう。
しかし、それらはすべてお前自身と、お前の先輩たちがつくってきた想念の結果であるということを知らねばならない。 この地獄という存在は、実に神がつくったものではなく、お前たち自身がつくったものなのだ。
この物質世界の地獄のような苦しみや醜さも、
地獄のなかの悪魔をつくっているものも、その信じられない恐ろしい光景をつくっているものも、お前たちの想念と言葉と行いの結果であるのだ。 お前たちは、愚かなことに、私がお前たちを罰する以前に、お前たち自身の手でお前たちを罰している。
お前たち自身の手で地獄をつくり、地獄で苦しむのみならず、地獄に行く前に、生きている間からその苦しみを開始する。
お前たちは、日々に自殺衝動にかられているといってもよいのだ。 お前たちのなかで、人はいかなる理由で創造され、いかなる理由で地上に生まれ、そして死してのち、いかなる世界を見るか。
詳細に答えられる者はいるか。
だれひとりとして答えられぬであろう。
お前たちは、箱庭のなかの人形でしかないと自覚せよ。
明日、ささいな事故がひとつ起これば、たちまち困窮し、死する存在でしかないのだ。 お前たちが思いあがっている理由は、大いなるものを見失っているからだ。大いなるものを尊敬することを忘れているからだ。
畏れを知らなくなっているからだ。
畏れを知らなくなっている者に対しては、かならずや畏れがその身にふたたび及ぶことになるであろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています