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1990年代半ばに、歌手で音楽プロデューサーのパク・ジニョンと出会い、しばしば楽曲制作のデュオを組んだ。

1996年、パク・ジニョンがJYPエンターテインメントを設立し、そこへ自身も作曲家、編曲者、プロデューサーとして入所。

1999年1月13日にデビューしたK-POPの第一世代である5人組男性アイドルグループ『god』のプロデュースで成功を収めた。godのデビューアルバム『Chapter 1』の制作では、楽器や音楽のアレンジを担当し、パク・ジニョンがプロデューサー兼メインソングライターを務めた。
他にも、godの楽曲「One Candle」や「Road」などをアレンジ。godのアメリカでの成功により、パク・ジニョンと共に「ヒットメーカー」と評されるようになり、芸名の「hitman(ヒットマン)」が誕生した。

2003年~2004年、韓国内で大好評だったwonder girlsでエンターテイメントの本場である米国へ進出するべくキャンピングカーで朴ジニョンと米国内をどさ回りと洗濯係を担当しながら、アメリカンドリームを掴むべく、彼と男2人一間の部屋で過ごしていたが、まったく現地の人々にK-POPがなかなか受けず、1曲たりとも売れずで次第に金銭や生活等で大変な苦労を重ねていた時、朴ジニョンがシヒョクにいつも靴下を裏返しで洗濯を出すので、日頃のうっ憤も溜まっていた事もあり、「兄さん、靴下を裏返さないでとあれほど言ったのに!」と声を荒げて怒りが爆発して大喧嘩になった。

これをきっかけに「もうこれ以上師匠である朴ジニョンとwonder girlsを支える為に自分がついていくのは難しい」感じたシヒョクは朴とwonder girlsを置いて、先に母国である韓国へ帰国し、JYPエンターテインメントからの独立準備を始める。