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じゃあ笠原下げるか

笠原は研修生の中でも底辺でエロ衣装一発でデビュー


――そもそも、笠原さんはどういったきっかけからアイドルを目指したんですか?

笠原:元々、家族でモーニング娘。さんのプラチナ期が大好きだったんです。昔から、お父さんやお母さんたちとみんな一緒に振り付けをマネしていたほどで。家族全員好きなメンバーはバラバラだったんですけど、私は、亀井絵里さんのお客さんを虜にするようなパフォーマンスに憧れていました。

でも、当時は自分がアイドルになるなんて思ってなかったです。むしろ両親の方が「アイドルになってほしい」という気持ちが強かったみたいですね。

――そこから巡り巡って、今ではハロプロの一員になったというのは感慨深いですね。アイドルとしての本格的なスタートは研修生からですが、どういった経緯で加入することになったんですか?

笠原:初めは『モーニング娘。12期メンバー『未来少女』駆け込みオーディション!』を受けたんです。じつは当時まだ9才だったので応募資格の10才を満たしていなかったのに、直接オーディション会場で応募する方法があったから「もうすぐ10才です!」と言って受けに行きました。

でも、結局は落ちてしまって、次の年の『モーニング娘'14<黄金(ゴールデン)>オーディション』もダメだったんですけど、ハロプロ研修生への誘いを受けたのでやってみようと思いました。

『ドンデンガエシ』に救われた

研修生時代には辞めようと思った。アンジュルムへの加入は運命の巡り合わせ

――研修生時代には「Hello! Project研修生発表会2016~春の公開実力診断テスト~」(2016年5月5日)でベストパフォーマンス賞も獲得しましたが、当時を振り返る中では自分なりの苦労もありましたか?

笠原:研修生時代は出番が少なくて、先輩たちのバックダンサーに付いたこともなかったから自分を「落ちこぼれ」と思っていたんですね。でも、そのときに勇気付けられたのがアンジュルムの『ドンデンガエシ』でした。

研修生は先輩たちのリハーサルを見学する機会があるんですけど、たまたま初めてその曲を見たときに「このままでは終わらせない」「『変わってやる』と心で誓った」という歌詞に励まされたんです。だから、メンバーとなった今でも私にとって大切な一曲ですね。

――挫折しそうになった自分を救ってくれた曲を、今はそのメンバーとして歌っているというのも不思議な巡り合わせですね。実力診断テストもそういった意味では、大きな転換期だったのではないですか?

笠原:そうですね。自分にとっては2度目の参加で、気持ちとしては「今回で結果が出なかったら辞めよう」と考えていたんですね。当日の曲や衣装を研修生自身が選ぶんですけど、憧れていた亀井絵里さんが目立つモーニング娘。さんの曲『愛しく苦しいこの夜に』を選んだのも「この曲で終わろう」という思いがあったからです。

――強い決意を胸に、ステージに挑んでいたんですね。当日は現在もハロプロ研修生として活躍する清野桃々姫さんと同数票で栄冠に輝きましたが、当時を振り返るとどういった心境でしたか?

笠原:ステージ上で発表されたときは正直、聞き間違えかと思いました。自分なりに全力でパフォーマンスしたつもりだったけど、経験の長い先輩たちもたくさんいたのでまさか選ばれるとは思っていなかったんです。

頭の中が混乱しちゃって、驚きすぎて自然と涙が溢れていました。でも、その経験があったから自信が持てるようになったし、もっといえば、今の自分はきっといなかったんじゃないかなと思います。

https://news.nicovideo.jp/watch/nw2840437