三浦春馬の死に寄せて

しかし地上において我とわが身を滅ぼした者は気の毒である。まことに、自殺者は気の
毒である!これより不幸な者はほかにないと私は思う。彼らのために神に祈るのは罪悪
であると人はいう。そうして、教会も表面的には彼らを破門するような具合である。け
れども私は心の奥で、彼らのためにも祈ることができると考えている。キリストも決し
て愛を咎めて、怒られるわけがないではないか。私は自白するが、こういう人々のため
に一生涯、心の中で祈っていた、今でも毎日祈っている。

(我)このゾシマの言葉を読んで、どこが本質か諸君にはわかるか? 「神に祈るのは罪悪か」とか

「教会も表面的には彼らを破門する」とか、そういうのは文化依存の枝葉である。これを読んで書いたとおりに
理解し実践できるのは信仰者であるわれわれ創価学会員だけである。

ここのところの本質は、自殺者のためにこそ「祈る」ということである。そうして祈り続ける──それこそ一生涯。

そうであってこそ最大不幸でさえその意義がはっきりと感得できるようになるのである。

そのことは無数の学会員さんの体験によって実験証明されている。

君らがどんなに亀山さんや焼酎さんの勉強ノートを読んでも、それは知識が増えるだけの話である。カラマーゾフ
の本質には1ミリたりとも触れることはない。

創価学会に入信し、数十年まじめに先輩の指導を受けきり、愚かなる自己のカラを一歩々々打ち破っていくしかない。
われわれ純真なる創価学会員はみな、自分の人生を「ボロ雑巾」たれ!と決意した者たちである。

自分の家族から始まり日本・人類全体のために自分はぞうきんになる──そういう大菩薩である。
人生の修行──創価学会という人生の総合大学へ入学する覚悟もないものは、いますぐ このスレから去りなさい。