>>188
戦争に関して中韓との国交回復のときの和解の建前は
「戦争は軍国主義の政治家・軍部が起こしたもの」
「だから日本国民は被害者であり和解が可能」というもの
つまり本当は日本人全員に責任がある話を戦犯に押しつける形にした
中韓の当時の政治家も「日本を許すな」という世論を上記の理屈で説得した
ところが戦犯が祀られた靖国に政治家が参拝するということは
「戦犯にも責任はありませーんw 誰も責任は取りませーんw 和解の約束なんか知らねw」
と日本が外交上宣言したという意味に向こうには取られる
せっかくの和解の枠組みを日本からブチ壊す行為となる
だから戦犯が祀られる前には靖国へのクレームは向こうからはなかったし
「日本が和解の枠組みを破るんならこっちだって言いたいことは山ほどあるぞ」
という態度を向こうとしても国内世論対策として取らざる得ない
長文マジレスごめん