クンユアム旧日本軍博物館
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この地では、日本兵が敗走してきた所謂白骨街道といわれて、7,000名に上る日本軍将兵が命を落としたといわれる。

館長 Pol.Lt.Col.Chiedchai Chomtawat
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私は、クンユアム警察に署長として赴任してくるまでは、何の考えもなかった。
1995年(平成7年)に赴任してから、いろいろとクンユアムの人々の家に挨拶に回った。
そうしたところ不思議なことにどの家にも宝物みたいにして、日本の兵隊さんのものを一つか二つ必ず持っていた。
水筒、毛布、鉄兜、飯盒等。これが日本の兵隊さんの思い出の品ですよと言う。
ここクンユアムには、日本兵との思い出が埋もれている。
村のおじいさん、おばあさんだけの思い出とするのはもったいないと思った。
私は本気で調べ始めた。メモを取り、またビデオ、カセットテープ、写真も撮って、おじいさん、おばあさんからいろいろと話しを聞いた。
そして同時に、私は村人から日本兵の遺品を集め始めた。

MR.CHAROEN CHOWPRAYOON
私はクンユアムに進駐してきた最初の日本兵から、帰還する最後の一兵までを知っている。
真実の日本兵は村人と共に働き、お互い協力して生活していた。
カンチャナブリの博物館で華僑が宣伝するような日本軍とは違う。
優しかった日本兵を私は忘れない。
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敗戦前に日本兵がビルマから敗走してきて、お寺、村人の家、学校、村の小さな病院などはほとんどいっぱいになった。
そして村の一軒一軒に日本兵が一緒に住むことになった。家の大きさによって違うが、一軒に大体5人〜20人くらいいた。
また道のかたわらに野宿する人もいた。

日本兵は村の人に何でも出来ることをいろいろと手伝った。たとえば米の脱穀精米作業とか、農作業のときの赤ちゃんの子守などやってくれた。
クンユアムの人たちは、日本の兵隊さんのことを嫌だとは思わなかった。

「第二次世界大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出」
チューチャイ・チョムタワット著から抜粋
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