>>35

助言ありがとうございます。

ブログかあ。
自前の看板上げてあれこれ書くには、まだ俺自身にK-POPの知識と経験が足りないなあと思ってるんですけどね。

目新しい情報もそんなに持ってないし。あるとしたら洋楽視点で見るK-POPのユニークさ、世界音楽の中でのK-P
OPの在り方を考えるという視点だけで、そんな飛び抜けて値打ちのあること書いてるとも思えない。あくまで俺
自身の中でのヒラメキのメモなので。

ただ2ちゃんは自治厨が多いので、ちょっとゲンナリしてるのは事実です。
(炎上煽り丸出しの誹謗を書き散らしておいて「心配してやった」と正反対のことをほざくキチガイとかwww)

意見なんか噛み合わなくてもいいし、むしろ色々な考えを様々な角度からぶつけあって、自分と違う見解でヒントを
もらって、また考える場所なんだと思ってました。俺の書いたものを褒めそやされたいわけではないし、むしろ否定
的な意見をぶつけられることで、もっと深く考えるきっかけにしたいと思ったのが、参加の理由でもあるし。

ただ、中身じゃなくて長さだけをグズグズ言われたり、ピント外れだと言うくせに、そのポイントを具体的には書い
てこない。たんなる陰口と嫌味しか帰ってこない。正面切った喧嘩はしないで、背中に石を投げるだけの連中が多い。

自分と波長の合わない物は、手段を選ばずに排除しないと居られない、女々しくて肝の小さい人間が多いのだなと。

今世の中全体が、そうなってるので、しかたないのかなあという気持ちもあります。色々な考えの併存を許さないで
ーーいい大人が、厨房のイジメと変わらないレベルで、自分と異なる考えの人間を蹴落とし、追い出すのに必死。下
手すると、縄張り争いで殺し合いを始めかねない勢いでにらみあってもいる。

自分の好きなものを大事にするのはいいんですが、自分の受け入れ容量を越えたものは全部敵視する考えって、神経
質すぎるし、何が楽しいのかなと。

芥川の「杜子春」(あるいは映画「アクト・オブ・キリング」)の浅ましく乱暴な世界が目の前にある。ゾンビ映画
の流行も煎じ詰めると、「信用できない隣人」が気味悪い怪物に見えるということで、対話じゃなく頭を吹き飛ばす
ことでスッキリする。そんな時代の気分なのかなとも思います。

ブログもやってみればきっと快適だと思います。ヤな訪問者は、問答無用で放り出せるし、排除できる。
味方ばかり周囲に集めてれば、ストレスはないだろうなと。(“役得”なんかも、究極のご褒美ですよねww)

でもそれって他人との理性的な対話を諦めて、ゾンビ避けのシェルターに逃げこむみたいで。結局、自分も他人をゾン
ビ扱いして逃げてることにならないかなとーー躊躇われるきもちはありますね。

でも、もういい加減限界かも。ずっと有意義な対話は生まれてこないでいるし、バカな粘着との根比べも面倒くさい。
そろそろ潮時なのかなあと思う気持ちもあって、すごく揺れますね。