「ふつうに聞かせる」
喉絞っている奴では端から落第というジャンルもあるんだよ
「地声でやれ」が持論の富野由悠季の作品しかり

作り声の時点で作った芝居にしかならず
その人間をキャスティングした意味が薄れる
裏を返せば誰でも良いという存在でしかなくなる

これは "肉声感" を有するような
つまり実在感のあるキャラクターを求めて行く場合には致命的
声優の芝居が嘘っぽいと言われるのはここのリアリティが足りてないから

元々、地声に特徴のある役者が起用されて演技を売る世界であり
その声質という守備範囲でおおよその棲み分けが成されていたのに
今じゃ地声が凡庸な人間までそれで飯を食おうとするものだから
機会を求めて芝居が出来る事よりも様々な声を作れる事を売りにしたがる
これで良く今の方がレベルが高いなどと言えたものだ