【25周年】ニューウエイズ【倒産の危機】
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今、大統領選控えた米はQE3織り込んでお祭り景気。
再選狙うオバマの手前、FRBも偽装好景気演出に必至。
11月大統領本選後、株価(DJI30,SP500)暴落。
2013上期企業決算を待たずしてHFはこの会社の支援を打ち切るよ!
GGCがこの企業の株の大半を手放したのはこの企業の将来性が見込めないから。
現在株式交換によってこの企業の筆頭株主になっているHFの目的は、恐らくCDS。
HFはプロップファームと違って顧客の投資資金を運用している。
2年以内に倒産を見込んだ投資でしょう。
2011年11月、ブルームバーグニュースにより「GGCがニューウエイズの破産を含む選択肢を検討」との見出しで、 セカンド・リーン・ローンの約2億3500万ドルが債務不履行に陥ったと報じられた。[5]
2012年1月、債務不履行の問題で、約1億3000万ドルを債務の株式化する事で債権者との交渉が成立。 これによりSAC Capital Advisors, L.P と Z Capital Partners, LLCが株式の過半数を取得し、取締役会に上記代表が加わった。[6]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%BA
http://www.bloomberg.com/news/2011-11-17/golden-gate-s-neways-said-to-weigh-options-including-bankruptcy.html
一、占領米グンが強要した「日本国ケンポウ」は米国製であることを明確化し、チ 一、低ゾクな米国文化や社会制度の強要によって日本民族の精神文化体系を組織的 一、日本民族ドレイ化のショウチョウたる在日米グン基地の即時テッ収。 以上の他にキュウダンすべきコトは無数にあれどもとりあえず以上十一条を要求 す。要求いれざれば、日本民族は最後の一人となれどもトウソウを継続するものな 我軍は大東亜戦争四十周年を期し、遊撃戦に入れり。時に 弾劾文を示せれる ここに我軍は、米軍基地を攻撃し民族独立の意気をアラワす。 昭和二十年五月五日、オキナワ第三十二軍第二次反攻はザセツせり、以後本格的 今オキナワ戦に、水ヅキ草ムす英霊のミタマに対し、この戦闘をササグ。 我軍は本日二〇時を期して、ソ連邦公館を攻撃し損害を与えたり。 去る昭和 五十七年五月六日、在沖縄県第三十二軍の対米軍総攻撃を継承し、横浜市本牧米軍 基地を攻撃、建物三トウ三〇〇坪を炎上破壊せしめたるのに続き、今回暴レイソ連 邦を膺懲す。 これは単なる警告にあらず。もし米ソ両国が我軍の対米ソ糾弾文 に対して誠意ある応答をしめさなければ、我軍は日本民族の名においてより強力な る攻撃を実行するであろう。国際的強盗国家ソ連邦は七十八年前の日本海海戦を想 父親が帰りながら車中で、ふと警察で中年男性がしたのと同じ質問をしてきた。
地図で説明していたのを聞いたので大体の場所を言うと、父親も「そこかぁ」と呟いた。
その場では聞く気になれず、その日はそこで会話は終わった。 彼の四十九日が終わり、父親に葬式の日のことを聞いてみた。
父親は「話半分で聞いてくれ」との前置きをして教えてくれた。
俺の祖父が父親に話したことだそうだ。 恐らく彼の原付が初めに故障したのは、『かんのけ坂』と呼ばれている所だろう。
今では『かんのけ』と訛っているが、昔は棺桶坂と呼ばれていた。少なくとも祖父が子供の頃はそうだった。 恐らく彼の原付が初めに故障したのは、『かんのけ坂』と呼ばれている所だろう。
今では『かんのけ』と訛っているが、昔は棺桶坂と呼ばれていた。少なくとも祖父が子供の頃はそうだった。 亜細亜ノ解放イマダ成ラズ。何ヨリモ日本民族ノ独立、ハルカニ遠シ。ユエニ大 当時、棺桶をつくる仕事は(あくまでその近辺では)身分の低い人がする仕事だったそうだ。
そのため棺桶一つの値段も安く、ひもじい生活をしていたそうだ。
また、差別もあり、かなり虐げられていたらしい。 そんな仕事で唯一儲かるのが特注品だった。
例えば既成のものに入らないほど巨漢であるとか、なんらかの事情で既成の棺桶に入れられないケースに、
特注品を作るんだそうだ。 特注品の話を聞き、合点がいった。
棺桶に入らないほどの巨漢などそうそういるものではない。 東亜戦争イマダ終結セズ。連合軍ニ魂マデ占領サレタル日本人ヨ今コソ大東亜聖戦 父親は続けた。
手を拱いていたのが女性だという点でも思いあたる節があるという。
祖父が子供の頃、棺桶を作るのがとても上手な器用な女性がいたらしい。
その評判は周囲に広まり、気付くと特注品の注文はすべてその女性の所にいったそうだ。 ノ意義ヲ再確認シ、民族ノ裏切者共ヲヨウチョウセヨ。我ガ軍ハ、日本民族ヲ代表 シ、日本国内ニオイテ反日・排日・侮日的思想ヲアオル元凶「朝日新聞」ヲ攻撃セ リ。コノ行動ハ日本ニオケルスベテノ報道言論機関ヘノ警告ナリ。以後我軍令違反 我軍ハ日本民族ノ前衛トシテ、日本ニオケルスベテノ報道言論機関オヨビ組織内 既成品はある程度作り置きしているが、特注品は死後注文が入って死体が腐る前にすぐに用意しなくてはならない。
その女性は特注品であれど注文が入れば必ず次の日には棺桶を作り上げた。
見た目もただの箱ではなく、装飾もちゃんとついており、とても一晩で作り上げたとは思えない出来だったそうだ。 丁度その頃不審死が相次ぎ、彼女はそれらの注文を全てこなしたという。
しかし最終的に、特注品の注文が彼女の所にしかこなくなり、どんどん私腹を肥やして行く彼女は、
他の棺桶屋や周囲の農民からも妬まれ、最後は若くして惨殺されたそうだ。
大勢に農具や工具で原型をとどめないほど無残に殺され、田畑の肥やしにされたらしい。 父親は、ここからは自分の予想だという。
恐らく彼が田んぼの中で硬直していたのもそのせいではないか、
手を拱いていた女性はその女性ではないだろうかと。 一、コレマデノ日本民族ヲ裏切ッタ行動全部ヲ謙キョニ反省シ、日本民族ノ立場ヲ 考えすぎだと思うし、ここからは祖父の作り話かもしれない。
ここまでの話は知っている人もいるだろうが、ここからの話は祖父からしか聞いたことがない。と父親は続けた。
例の女性が殺されたあと、殺した棺桶屋たちが彼女の家に押し入ったそうだ。
どうして特注品があんな短期間で作れるのか。特殊な道具、方法でもあるんじゃないかと探したらしい。 すると家には、作りかけの特注品の棺桶と、見たこともない祭壇があったそうだ。
特注品と言えど亡くなり方は様々なため、一つ一つの大きさ、形が違う。
にも関わらず、彼女が特注品を先に作っているのを全員が不審に思ったそうだ。 そんな最中、不審死が起こった。
棺桶屋たちはもしやと思い、彼女の作りかけの棺桶を見にいくと、寸分違わずぴったりだったらしい。
もしかすると、彼女が特注品の注文を貰えるようなんらかの方法、呪いで不審死を引き起こしていたのかもしれない。 また、それが今回俺の亡くなった友人にたまたま降りかかったのではないだろうかと、言って口を閉ざした。 亡くなった彼の両親は地元の人じゃないので、この話はしらないだろう。
友人にも話していない。
ただ、もう自分で溜め込んでおくのが辛くて、ここに書き込みをさせてもらいました。
長文乱文駄文を長々とすいません。 一、現在実行シテイルスベテノ反日・排日・侮日的報道言論行為ヲ一切ヤメヨ。 あのとき引き止めておけばと今でも思うのですが、正直怖かった。
体も冷たく、瞬きもせずに帰りたいと言う彼から離れたかった。
本当に申し訳ない。 一、低級ナ欧米文化ノサルマネヲヤメテ日本民族ノ文化ヲ保護育成シ真ノ日本ノ報 一、純真ナル日本人青少年ノ心ヲ汚ス低俗ナ番組企画報道ノ一切ヲ停止セヨ。 今から7年ほど前の話になる。俺は大学を卒業したが、就職も決まっていない有様だった。
生来、追い詰められないと動かないタイプで(テストも一夜漬け対タイプだ)、
「まぁ何とかなるだろう」とお気楽に自分に言い聞かせ、バイトを続けていた。 そんなその年の真夏。悪友のカズヤ(仮名)と家でダラダラ話していると、
なぜか「ヒッチハイクで日本を横断しよう」と言う話に飛び、その計画に熱中する事になった。 その前に、この悪友の紹介を簡単に済ませたいと思う。
このカズヤも俺と同じ大学で、入学の時期に知り合った。
コイツはとんでもない女好きで、頭と下半身は別、と言う典型的なヤツだ。 一、コレマデ愛国維新民族派陣営ノ活動ヲ無視黙殺シテキタコトニ謝罪シ今後ハ正 だが、根は底抜けに明るく、裏表も無い男なので、
女関係でトラブルは抱えても、男友達は多かった。
そんな中でも、カズヤは俺と1番ウマが合った。
そこまで明朗快活ではない俺とはほぼ正反対の性格なのだが。 ヒッチハイクの計画の話に戻そう。計画と行ってもズサンなモノであり、
まず北海道まで空路で行き、
そこからヒッチハイクで地元の九州に戻ってくる、と言う計画だった。 カズヤは「通った地方の、最低でも1人の女と合体する!」
と女好きならではの下世話な目的もあったようだ。
まぁ、俺も旅の楽しみだけではなく、そういう期待もしていたのだが… 以上各項ノ我軍令ニ違反スル機関人員アレバ、我軍ハ民族ノ名ニオイテ物理的・ カズヤは長髪を後ろで束ね、一見バーテン風の優男なので
(実際クラブでバイトをしていた)
コイツとナンパに行って良い思いは確かにした事があった。 そんなこんなで、バイトの長期休暇申請や
(俺は丁度別のバイトを探す意思があったので辞め、カズヤは休暇をもらった)、
北海道までの航空券、巨大なリュックに詰めた着替え、
現金などを用意し、計画から3週間後には俺達は機上にいた。 経済的・身体的に厳罰ヲ加エル。各組織人員ハ日本人トシテノ責任ト誇ヲ自覚セ 札幌に到着し、昼食を済ませて市内を散策した。慣れない飛行機に乗ったせいか、
俺は疲れのせいで夕方にはホテルに戻り、カズヤは夜の街に消えていった。
その日はカズヤは帰ってこず、翌朝ホテルのロビーで再開した。
にやついて指でワッカをつくり、OKマークをしている。
昨夜はどうやらナンパした女と上手く行った様だ。 さぁ、いよいよヒッチハイクの始まりだ。
ヒッチハイクなど2人とも人生で初めての体験で、流石にウキウキしていた。
何日までにこの距離まで行く、など綿密な計画はなく、
ただ「行ってくれるとこまで」という大雑把な計画だ。
まぁしかし、そうそう止まってくれるものではなかった。
1時間ほど粘ったが、一向に止まってくれない。 昼より夜の方が止まってくれやすいんだろう、等と話していると、
ようやく開始から1時間半後に最初の車が止まってくれた。
同じ市内までだったが、南下するので距離を稼いだのは稼いだ。
距離が短くても、嬉しいものだ。 夜の方が止まってくれやすいのでは?と言う想像は意外に当たりだった。
1番多かったのが、長距離トラックだ。
距離も稼げるし、まず悪い人はいないし、かなり効率が良かった。 3日目にもなると、俺達は慣れたもので、
長距離トラックのお兄さん用にはタバコ等のお土産、
普通車の一般人には飴玉等のお土産、と勝手に決め、
コンビニで事前に買っていた。
特にタバコは喜ばれた。
普通車に乗った時も、喋り好きなカズヤのおかげで、常に車内は笑いに満ちていた。 女の子2〜3人組の車もあったが、
正直、良い思いは何度かしたものだった。
4日目には本州に到達していた。コツがつかめてきた俺達は、
その土地の名物に舌鼓を打ったり、
一期一会の出会いを楽しんだりと余裕も出てきていた。 ||||||||||||||||||||||シ''''""" ........ ..;;illl||||||llii;;,,... |||||||||||||||||||||
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"il||||||||||i;;, "'i||l;i;;,..,,,,,....,,,,;i;;,,iiiツ'", .,;il||||||||ツ 銭湯を見つけなるべく毎日風呂には入り、
宿泊も2日に1度ネカフェに泊まると決め、経費を節約していた。
ご好意で、ドライバーの家に泊めてもらう事もあり、
その時は本当にありがたかった。
しかし、2人共々に生涯トラウマになるであろう恐怖の体験が、
出発から約2週間後、甲信地方の山深い田舎で起こったのだった。 我軍は日本民族を代表し、ロシア帝国およびソ連邦によって実行された数多くの 「おっ♪ おっ♪ おま○こ おま○こ 舐めたいなっ♪ ペロペロ〜 ペロペロ〜」
男友達だけの集まりになると、いつもカズヤは卑猥な歌を歌いだす。
その夜もカズヤは歌いだした。 その日の夜は、2時間前に寂れた国道沿いのコンビニで降ろしてもらって以来、
中々車が止まらず、それに加えてあまりの蒸し暑さに俺達はグロッキー状態だった。
暑さと疲労の為か、俺達は変なテンションになっていた。
「こんな田舎のコンビニに降ろされたんじゃ、たまったもんじゃないよな。 これなら、さっきの人の家に無理言って泊めてもらえば良かったかなぁ?」とカズヤ。
確かに先ほどのドライバーは、このコンビニから車で10分程行った所に家があるらしい。
しかし、どこの家かも分かるはずもなく、言っても仕方が無い事だった。 時刻は深夜12時を少し過ぎた所だった。俺たちは30分交代で、車に手を上げるヤツ、
コンビニで涼むヤツ、に別れることにした。コンビニの店長にも事情を説明したら
「頑張ってね。最悪、どうしても立ち往生したら俺が市内まで送ってやるよ」と言ってくれた。こういう田舎の暖かい人の心は実に嬉しい。
それからいよいよ1時間半も過ぎたが、一向に車がつかまらない。と言うか、ほとんど通らない。 今も昔もロシア人は異民族への犯罪を犯し続け、その発展は侵略と暴力の歴史で カズヤも店長とかなり意気投合し、いよいよ店長の行為に甘えるか、
と思っていたその時、
1台のキャンピングカーがコンビニの駐車場に停車した。
これが、あの忘れえぬ悪夢の始まりだった。 運転席のドアが開き、
コンビニに年齢はおよそ60代くらいかと思われる男性が入ってきた。
男の服装は、カウボーイがかぶるようなツバ広の防止に、
スーツ姿、と言う奇妙なモノだった。 あった。ロシア、ソ連の罪状は多すぎて全部を書くことはできない。一部を左にあ 俺はその時、丁度コンビニの中におり、何ともなくその男性の様子を見ていた。
買い物籠に、やたらと大量の絆創膏などを放り込んでいる。
コーラの1.5?のペットボトルを2本も投げ入れていた。 一人暮らしをしている大学生の男がいた。
男が住んでいるのはごく普通のアパートだが、たまにおかしなことが起こった。
大学から帰ってくるとカーテンの形やゴミ箱の位置などが微妙に変わっている気がするのだ。
最近は誰かにつけられてる様な気もしてきた、流石に気味が悪くなってきた男は大学の友人に相談した。
男が「もしかして…ストーカーかな?警察に言うのが一番良いと思うけど…警察は実際に被害が無いと動いてくれないって聞くしなぁ…どうしよ……。」
と困っていると、友人は「…じゃあ大学に行ってる間ビデオカメラで部屋を撮影しておいて、
もしストーカーが部屋に侵入してるのが撮れたらそのテープもって警察に行けば良いじゃん、
不法侵入してるわけだからさすがに警察も動いてくれるだろ。」
と具体的な解決策を提示してくれた、やはり持つべきは友!これは良い案だ!と思った男は
早速次の日の朝、部屋にビデオカメラを設置して録画状態のまま大学へ行った。
大学から帰ってきた男は焦った、久々に部屋に違和感がある、
「これは期待出来る、マジにストーカー写ってるかも…」と思いながらビデオの録画を止め、再生した。 その男を、会計をしている最中、
じっと立ち読みをしている俺の方を凝視していた。
何となく気持ちが悪かったので、
視線を感じながらも俺は無視して本を読んでいた。 しばらくは何も写らなかった。
しかし夕方になると、知らない女が包丁を持って部屋に入ってきたのだ。
「…!!!!!!」ビビった男はすぐに友人に電話をかけた、
「ヤッベー!写ってる写ってるストーカー写ってる!!!!」と若干興奮気味に伝え、
それからは録画を見ながら友人に内容を実況した。
「ゴミ箱漁ってるよぉ…」「今度は服の匂い嗅いでる…キメェ!!」今までコイツは何回も来ていたのかと思うと
男は背筋が凍る思いだった。「これで警察も動いてくれるなぁ」と少しホッとしてると、画面の中の女は押入れに入った。
「うっわ…押し入れの中入ったよ、しかもなかなか出てこない……」などと友人と喋っていると、また誰かが部屋に入ってきた。
男は言葉を詰まらせた。
部屋に入って来たのは自分だった
そしてビデオの中の自分はカメラに近付き録画を止める。
そこでビデオは終わっていた。 やがて男は店を出た。そろそろ交代の時間なので、
カズヤの所に行こうとすると、駐車場でカズヤが男と話をしていた。
「おい、乗せてくれるってよ!」
どうやら、そういう事らしい。
俺は当初は男に何か気持ち悪さは感じていたのだが、
間近で見ると、人の良さそうな普通のおじさんに見えた。 げて謝罪等を要求する。左の要求がいれられなければ今後日本にいる全ロシア人の 俺は疲労や眠気の為にほとんど思考が出来ず、
「はは〜ん、アウトドア派(キャンピングカー)だからああいう帽子か」
などと言う良く分からない納得を自分にさせた。 キャンピングカーに乗り込んだ時、「しまった」と思った。
「おかしい」のだ。
「何が」と言われても「おかしいからおかしい」としか書き様がないかも知れない。
これは感覚の問題なのだから…ドライバーには家族がいた。 もちろん、
キャンピングカーと言うことで、
中に同乗者が居る事は予想はしていたのだが。
父 ドライバー およそ60代
母 助手席に座る。見た目70代
双子の息子 どう見ても40過ぎ 一、大東亜戦争末期、日ソ不可侵条約(ママ)を破って日本を侵略したことを謝罪せ 人間は、予想していなかったモノを見ると、一瞬思考が止まる。
まず車内に入って目に飛び込んで来たのは、
まったく同じギンガムチェックのシャツ、
同じスラックス、同じ靴、同じ髪型(頭頂ハゲ)、
同じ姿勢で座る同じ顔の双子の中年のオッサンだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています