ひろゆきさんの記事を見ると、
一見ひろゆきさんこそが
日本語の読めないやつかのようにも見える。

そして、その記事の中に出てくる
「じゃあ、沢尻エリカ様のことを見ても
そう言えるのかよ!」と、反例をもとにつっこむ

サイトーさんこそが
日本語の理解力や論理力のあるように、
一見、最初は見えてしまった。

(最初の印象は)
ひろゆきさん
「あたかも、20代美人女性なら
犯罪を犯しても食いっぱぐれないなんて
言ったかのようにサイトーさんはとらえているけど、
そんなこと言ってねえよ!」

いやいや、でもそう言っているかのようにも同然にも見えるし、
サイトーさんはうまい切り返し方をしたかのようにも、見えるよ。


(でも、)
ハフィントンポストの記事までさかのぼって読んだり、
こちらのコメントを読んだりすると、
事態はひっくり返る。

「女性は顔がある程度かわいければ、そこそこまともな結婚ができて一生食いっぱぐれない。けど男性はイケメンでも二十歳過ぎたら仕事ができないと行き詰まるよな、という感じのこと言ったら…ヤバそうだな、私の意見ではないよ、」

そう、主役が、誰々さんにひっくり返るのだ。

そして、ハフィントンポストの内容を見てみよう。

そうすると、文脈的に、どう見ても、
沢尻エリカさんの話が出てくる余地なんか、ないのだ。

ひろゆきさんのおっしゃることこそが正しかった。
つまり、サイトーさんは、
文脈や話の流れ的に

全然関係ないところから
全然関係ない

自身の連想する話を絡めて
被害的に噛みつくようなところのある人だったのではないか?

そして、恐ろしいことに、
ハフィントンポストのコメント欄?
にいたのがサイトーさんという設定だったのか知らないが、

そんな人、ざっと見てみても、存在しない。
見当たらないのだ。

ひろゆきさんは、
日本語が読めないふりして、
すばらしい策士であったにちがいない。

そしてそのいないはずのサイトーさんこそ
話や舞台の、主役であるのだ。