それにしても、なぜ日本人は景観にこれほど無頓着なのか。商店街の過剰な広告・看板。日本中に張り巡らされた電線。三保松原のテトラポット。
建設中の東日本大震災の巨大防潮堤も将来、問題となる可能性が高い。「壁高くして、人住まず」では、元も子もない。

日本の伝統工芸を見ると、職人の美意識は世界に冠たるものがある。なのに、どうして景観に対する美意識は低いのだろうか。

過去、建設業界は公共事業に大きな部分を依存してきた。そこにあるのは、安全性・便宜性・経済性だ。景観が入り込む余地はない。
高度経済成長期には仕方のないことかもしれない。だが、先進国となった今でも同じ状況であれば、あまりにも情けない。

日本では、命より大切なものはない、ということが常識化しているような気がする。本当にそうだろうか。
それはあまりにも精神性を軽視していないだろうか。
人は命をかけても民族のアイデンティティを守るために闘ってきた。そういう崇高な精神は景観にも現れるのである。
地方の中核都市がどれも東京化を図って来たのは、日本人の精神の劣化を如実に示しているのではないか。

グランドデザインという言葉がある。壮大な図案・設計・着想。長期にわたって遂行される大規模な計画という意味らしい。
どうも、日本人にはこの分野が苦手なようだ。

行政の都市計画は本当に市民の将来的利益を議論し尽くしているのか。
各種コンペは出来レースで、議論過程を市民に隠そうとする。
こういう行政のあり方が、景観という形で我々の前に可視化するのである。
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