泣くことび関して親に言われていたことは兄妹共通
学校では簡単に泣くな(スポーツや卒業式などは別)、ただし家では好きなだけ泣いてよし、だった
まあそれでも泣き虫兄妹だったんで小学生の間は学校でも大泣きしちゃってたけどね
一応我慢する努力はしてたんだけど
中学以降も泣くのを我慢できたというよりは泣く状況を作らないコツを掴んだくらいかも
周りとぶつからないように、先生怒られないようにと

家では兄も私も一切我慢しなかった
喧嘩や叱られた時は勿論、宿題とかわからない、できない、とかでもすぐ泣いたし、あれが欲しいとか休みにどこか連れていって、とかの我儘が通らなくても大泣き
親は泣いたからといって我儘を聞くことはなかったし基本は放置だったけど泣くこと事態は決して叱らなかった
むしろ泣くだけ泣いて諦めろ、スタンス
しょっちゅう泣いて鼻水垂らすものだから上唇が荒れてカサカサになっていたほど
毎日のように兄か私のどちらかは大泣きしていた
勿論ダブルも少なくなかった
そのまま食事の時間も大泣きが続いてる場合は母が雑炊にしてくれた
それなら泣きじゃくりながらでも飲み込めたし、涙が落ちて塩分が足されるのも美味しく感じた

ただし悪いことした時には父が正座で説教だった
勿論兄も私もその間中泣き通し
文字通りずっと「うえ~んえんえんえん」って声で泣き続けた
最初は袖や襟で顔拭くけどすぐに吸わなくなって、正座してるスカートやズボンの太腿部分がグショグショに濡れた、俯きがちなものだから鼻水がまっすぐ糸を引いてグショグショの太腿に向かって垂れ下がった
おまけに説教が長時間になることも多くて、父の説教中にはよくおもらしをしたけど、それでも許して貰えずに漏らしたまま説教が続行されたことも何度かあった
説教が終わると母が優しく諭しながら後始末してくれて、下は勿論上も袖や襟がグショグショものだから全部着替えさせられたけど、説教が終わってからも2時間くらいは泣きじゃくってた
勿論夕食は決まって雑炊になった

>>704のいたずら合戦がバレたあとなんて酷かった
勿論2人並べられて大説教、まず私が漏らして、そのしばらく後に兄も漏らして、それでも説教が続行されて私が2度目のおもらしをしたあたりでようやく解放
勿論その間ずっと2人とも「うえ~んえんえんえん」って大号泣
解放されてから夜寝る時間になってもどちらも泣き止まなかった
もう2人とも顔中グッチャグチャで翌朝も完全に埴輪がふたつになってた