カルト牧師のバーゲンセール
「元○○○牧師」として全国各地で講演し、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの何某。
神学校在学中に覚醒剤を使用していたとメディア及び自己のブログで告白した。
当時はそれを隠して学校を卒業、「按手」という任命式を受けて牧師に就任。
その後、教団のトップである神学校の学長に告白したが、何の処分もなかった。
何某に特別に目をかけていた教団長Nは、「問題なし!」として責任を問わず。
一般社会やマスコミ、キリスト教界を席巻するほどまでにプロデュースし続けた。
しかし、こういったことでは社会秩序や、キリスト教界全体の安全性が損なわれる。
また、何某が牧師として行った説教のほとんどは、時効成立前であったことになる。
通常、神学校在学中に覚醒剤を使用した場合、他でもない退学処分が当然である。
間違っても、そのまま卒業して「牧師」になるなどということがあってはならない。
また、事後にそのことがわかったら、教団は牧師任命を取り消す決断が必要である。
その決断もせず、釈明や謝罪にすら出てこない教団トップのN氏の人格が疑われる。 キリスト教界はカルト教祖の権力によって完全に汚染されている じじいは自分が売り出したタレントの責任とらんからおかしい 「私は神学生時代に○○○を使用してそのまま牧師になっているふざけた人間です」
「この教会の牧師は神学生時代に○○○を使用してそのまま牧師になっています」
「この教団は神学校在学中に○○○を使用した者をそのまま牧師にしています」
「この神学校は在学中に○○○を使用した者をそのまま卒業させ牧師にしています」
と表示せずにする各種の宣伝や講演は不当な広告勧誘にあたらないのだろうか? 牧師の地位のバーゲンセールも問題だな
人呼んでインフレ聖職ともいう カルト教団は按手の乱発と偽牧師の粗製濫造をやめろ! 「だれでも牧師になれます!!」とはキチガイ沙汰だな ◎アメブロが金策日記でクソワロタ(2012/09/30)◎
[罪人の友(広島支部)ヨハネの家 開所式]
罪人の友(広島支部)ヨハネの家 の開所式を10月7日(日)午後2:30から執り行います。
住所は広島市中区舟入町6−3−302
電話は050−1569−3196 です。
ヨハネの家の振込口座番号は 01330−3−50532
口座名称:加藤 望 加入者払込店:美鈴が丘
また、他行からの振込の受け取り口座は 一三九店(当座)0050532 です。
シェルター用の部屋や、車の必要を覚えていますが、必ず与えられると信じて進みます。
以上、主任牧師 加藤望より。
お祈りと実質的な支えをお願い申し上げます。 牧師さんが牧会中にめでたく時効を迎えられた教会があるとお伺いしました。
ブログや動画サイト、著書や講演、マスコミなどに大人気の方だそうです。
奥さんも知っていたでしょうし、牧師夫婦、教団ぐるみで信者を騙していたのですね。 近年のキリスト教は明らかに改革が進み過ぎてしまったな
神学校在学中に覚醒剤をやってそのまま卒業してしまい、
さらに世を欺いて牧師として活動し続け時効を迎えるとは 弟子訓練っていうのがあって、それを受けてる信徒を「訓練生」という。
別名を「献身者」ともいって、牧師への絶対服従を義務付けられた人たち。
牧師の逆鱗に触れると暴言や恫喝、脅迫まがいの扱いを受けることもある。
古典的には献身者といえば神学生のことだけど、近年は拡大されている。
これらに共通なのは、度を越した支配体系、牧師の権威主義、権力濫用。
徒弟制度、丁稚奉公、えた避妊のような扱いを受けたという被害者多数。 弟子訓練、ディボーション、セル制度は教会カルト化の三種の神器。
もっともこれは序の口で、実際には他にもいろいろとあるのだが。
これら全て、「牧師」の権力濫用という病理に起因しているといえる。
今回の判決は暴言という牧師の聖域にまで踏み込んだ画期的な判決。
これを機会に、牧師の不祥事の新聞報道が増加することが望まれる。
今回のことは氷山の一角であり、隠れた被害者が多数いるのだから。 「弟子訓練」は、その語感が連想させる通り教会内にスパルタ式の主従関係を構築する。
「訓練」を施す側の立場に立つ権威主義的な「牧師」による権力濫用が必ず問題となる。
健康状態や財政状態を無視した過酷な奉仕の強要や高額献金の強要が行われるのも特徴。
「弟子訓練」を自分の召命と主張する牧師の著書を調べると興味深い事実が見出される。
そこには何と、「弟子訓練を導入したことによって多くの人が傷つき躓き教会を去った。
しかしこれは私の召命だから、何があっても成し遂げなければならない」と書いてある。
しかし、キリストの弟子だからといって、牧師から傷を受けねばならないのはおかしい。
イエス・キリストが十二人の弟子たちに無尽蔵の愛をもって接したことは明らかである。
「牧師」が「訓練を施す」からといって愛のない接し方をするのは完全に間違っている。 「牧師」とは、暴言を吐き、権力を濫用し、信徒を虐待し傷つける悪質な存在である。
律儀な信徒は極限まで我慢をし、「七の七十倍まで赦」すように努力してしまうが、
本来ならば、この「七の七十倍まで赦す」ということは牧師がやるべきことである。
「敵を愛しなさい」「七の七十倍まで赦せ」「下着をとる者には上着まで与えよ」
「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」「教会内のことを世俗に訴えてはならない」
などと洗脳され、何があっても一切抵抗できない状態にまで信者は飼い馴らされる。
一方「牧師」たちは聖書の言葉通りになど行動する必要がないという特権階級にあり、
宗教的権威に依拠して人としての信義則なども無視することができる強い立場にある。
従って「牧師」の暴言や権力濫用により傷を受けたり葬り去られた被害者は数多い。
結論としては、「牧師」と称する者から暴言や恫喝その他の不当な扱いを受けたら、
何の躊躇もなく即座に携帯電話で公的機関に相談もしくは通報を行うべきことである。
いったん我慢してしまうと、傷も深くなり、証拠も散逸し、解決は望めなくなる。 「聖書はビジネスと深いつながりがあります!」というのはカルト教祖の口癖
それで会社経営者などの歓心を買って、教団への寄付を募ろうというんだろう
新興宗教は金がかかるから、スポンサーを見つけないとやっていけないからな
独自の集金手段のほかに金蔓(タニマチ)を作っておく必要があるというわけ 教会から人が去って行くのは、牧師の行いなど教会に問題があるからです。
人が出て行くのが嫌か否かに関わらず、反省してやり方を変えなければなりません。
ある種の牧師たちのように、
「教会は正しいことをしているのだから、それで人が出て行くのもやむを得ない」
と開き直ったり、
「教会を出て行くのは古い生き方をやめないからだ」などと暴言を吐くのも誤りです。
日本のキリスト教界は、誤った教会無謬説、牧師無謬説がはびこっているようです。
だから裁判が起こるのですし、裁判になっていない多くの問題があるのですね。
「自分は悪くない。去って行った信徒たちにこそ問題があり、責任がある」
この思考回路こそ、まさに信者を虐待する権力濫用カルト牧師たちの共通項ですね。
実に多くの偽牧師たちが、とんでもない暴言を発して信者たちを傷つけているようです。
まさに人としておかしいですし、牧師以前に人間としても失格というべきでしょうね。
もう「牧師」と名乗っているものを信用できる時代は永遠に過ぎ去ってしまったようです。 「日本のクリスチャンは暗くて固い」
「既存の教会は死んだ礼拝をささげている」
これこそクリスチャンを迫害し教会を破壊する偽牧師の教えである 「顔が暗い=心が暗い・悪い・汚い」という超絶論理と、
「顔が暗い日本人を米国ではストーンフェイスという」という
とうてい牧師とは思えない差別表現満載のブログ内容はこちら↓
http://y-nakano.sblo.jp/article/64071949.html
http://y-nakano.sblo.jp/article/59960328.html
この「牧師」にかかると礼拝時に真剣な表情をしている人々は
「顔が暗い」「心が汚い」「ストーンフェイス」ということになる