「ありがとう」
くしくもこの父の最期の言葉を投げかけて私の必死の、
四時間以上に及んで保健士と私自身が呼んだはずの警察との舌戦ですでに疲労困憊であった私の制止を振り切り母は救急車に乗り込んでいったが
なぜだろう
その言葉の意味を考え続けている
そしていった
カンタが警察と共に我が家に乗り込もうとするその瞬間に
「これが私たちを十数年くるしませてるの」
と、いった…
混乱のさなか意味不明だったこの言葉を今鮮明に思い出している
父の時もだがしかし、ようやく今結びつけるがまだ、確かに彼は病室に来ておらず、彼ら夫婦がにこやかたどり着く前に発した言葉ではなかったか?
多少不自然な感じをもって聞いたこの言葉
難しい、この件に安易に誰をも巻き込むわけにはいかない
オバたちへの連絡を控える自分がいる
今日は奥村おじさんの命日でもあるのに関わらず、だ
父はすい臓がんで死んだが、本気で手術を止めようとするただ一人の家族だった俺とはいったい、
なんという存在に家族には見えていたのか…
母親は電話中、その二十分の間に
長男の嫁からの病院を一苦労のさなか漸く退院して自宅にたどり着いたまさにその時の電話
ただ今は病院には行かないという今、加えてのコロナ蔓延のさなかには当然すぎるありきたりの判断をなぜか180度一気に転換してしまった美浦さんとの電話
なぜだ?
その間に母は無体にも小便を漏らしていたあの現実の意味というのは一体、
単にそれが長電話だったからというありきたりな判断で少しとぼけて落ち着いていた自分自身の迂闊さには今まあ漸く、驚いてもいる
美浦さんは彼女の父親が病院に入ってもう何年たっているだろうか
もし、もし仮定としてそれを彼女の父である彼の完全な意志をもってそれをやっている、
何かでもって他の目的のためにやらざるを得ない、やらされている、
あるいはただそれが漫然とした単に本人の事実病変に侵された認知の自由意思を根拠にするのだとしても…
ならこれは一体、何をはたして糾弾すべき現実なのだろう
そんな可能性もあるのではないか
今はいろいろと考えざるを得なくなっている
まずは然し彼らとの関係の修復こそが第一だろう
それも、当然な話ではないはずだ
本能のレベルでは遙かに拒絶感が彼らと交わす会話の一言一言ににじり寄るこの自然
いや、何かあれば、この私の存在の意義こそも本来小さくなく思えてしかるべきなのだが…
彼らとの対話
奥村さんと電話をする前には思いもよらなかったこの最初のような最後の手段は、どこかで泥棒に追い銭を投げるような家族の寒い切なさが目を曇らせていた
気付きを与えられる対話、温かい人間関係とは例え泡沫のものでも貴重なものだ
まさに彼女とはそんな関係を築けそうだと気付かされた彼女との慮外に長くなった電話だが、昨日はするといってようやく切った今日の彼女への電話を然し
なかなかできないで深夜となってしまった
今日は四月二日だ
すべてが悪い冗談かのようである
だだ同時に不思議なのは、なぜただちにこの私の存在を排除しないのか、などととも考える
今は誰でもいい、誰かとの連携こそが第一、と肝に銘じるべきのようだ
誰か親身になってくれている組織の中のまともな人間の存在が今も大きい影響力で守ってでもいてくれているのかまあ、あるいは単にコロナかな?
普通なら迂闊には動けまいよ
だが、カンタはそれをやってしまったかのように思えてならない