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以上のように考えた場合、小泉純一郎とその政権、堀江貴文とライブドアのような、「祝祭的虚業」については、政治的評価、経済的評価、また倫理的、法的評価(そうした評価はまたそれはそれで厳正になされなくてならないのは当然です)とはまた別に、
一種の芸術的文化的立場からの重層的評価が必要なのではないか。幾度もの心中未遂への非難とは別次元で太宰治作品の文学的価値があるようにです。