31
士農工から成るかたぎの宇宙、現実を日常を、額に汗してこつこつ地道に支える生産者たちの世間と平行して、花火のような事業を打ち上げ、夢を繰り広げて、太く短く生きる人々が生きる非日常的領域もたしかに存在しつづけてともにそのその意義を認められている。
徳川時代がある程度そうであったかもしれない、そうした重層的世の中こそ、右肩上がりが終焉し、進歩の思想が色褪せ、日常を超えた夢をこれまでのように、成長発展拡大のかなた=「未来」へは託せなくなり、代わりに周期的に繰り返す祝祭として「現在」へ
織りこんでゆくほかなくなるかもしれぬこれからの時代にそぐう、成熟したあり方ではないかと思われるのです。