ここ最近「原発ゼロ」と「憲法を守る」という二つのテーゼを中心に「リベラル」派の人々の意見や行動がマスコミに取り上げられることが多くなっている。
私も著者と同じ世代で、学生時代に左翼がかったリベラルの人間の言動は、大学や書物で頻繁に目にする機会があった。著者は、その時代の
左翼の人間の進んだ道や、考え方を実名を挙げて取り上げ、それがどれほど当時の日本を「動かすことがなかったか」ということを丁寧に
説明してくれる。

60年安保闘争の時にピークを迎えた学生運動やそれを支持する左翼陣営の言動も、実は国民の多数の支持を受けていたわけでないことを立証し、
必然的に政治への影響も殆どなかったと断じる。唯、そういった当時の左翼系学生が、その後就職先として選んだのが朝日新聞であり、
その理論的な基盤も慰安婦問題における捏造記事や、原発事故における悪意ある誤報などを通じて国民の総反発を受けていることも指摘する。
左翼が、資本主義における「富の公平な配分」の為の機関として位置づけた労働組合も、実際国民に富を分けて行ったのは、
自民党政権が押し進めた経済政策による成長路線であったことから、社会党、ひいては現在の民主党の没落に繋がっているとも論じる。

著者自身、現在の安倍政権の進める諸政策には概ね好意的であることを隠さないが、一方、戦後、自民党を含めて、
政党間で真の意味での政策論争がなされていないことにも大きな不満を表明している。「原発ゼロ」「憲法を守る」ということが決して、
将来ビジョンを掲げた施策ではないことは、多くの国民が気付いているはずだ。だが、マスコミによってそこら辺が極めて曖昧にされていることも指摘している。
現代の日本はやはり今までとは違う世界になることを十分に認識したうえで、政策論争をすべきであり、そのためには国民は、
戦後のリベラルの総括をしておかないとまた無駄な時間を費やし、あるいは大きく道を誤る可能性があることをこの書はきちっと整理してくれている。