昭和の教祖たち
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昭和時代の日本は、新興宗教が未曾有の活況を呈した時期だった
多くの教祖たちが登場した
彼らの教えと足跡を振り返ってみたい まあ、昭和の教祖の中でも最大の大物といったら、好き嫌いは別にしてやはり創価学会の池田大作名誉会長だろうけど
それは創価公明板のテーマだから、ここでは論点から外します(笑) 金光大神こと赤沢文治が金光教を始めた。ここから全てが始まった
岡山県の地方宗教だった金光教から出口なおが出て、大本教を興した。そこから、「千年に1人、出るか出ないかの人物」こと、出口王仁三郎聖師が登場
出口王仁三郎は、一宗派の教祖を超えて、「日本を代表する神秘家」としてスピリチュアル業界にも定着している
戦前・戦中に大弾圧された大本教から元幹部たちが分離独立し、大きく枝分かれした
谷口雅春大聖師は、生長の家を創立した。生長の家の幹部だった薗頭広周を教義ブレーンとして、高橋信次がGLA を作った
谷口雅春は、政治思想と宗教思想の両面において、大きな影響を残した人。高橋信次も、出口王仁三郎と並び、教祖というより「霊能者」としてスピリチュアル業界で大人気の人物だ
高橋信次は48歳で早逝し、強い影響を受けた諸宗派がいくつも出てきた。幸福の科学やパナウェーブ白装束集団(千乃正法)だ
岡田茂吉明主様の世界救世教もまた、大本教からの独立組。自然農法と手かざしを始めた。ここから、手かざし教団が分離していく
最大の分派教団は神慈秀明会だけど、それだけではない。世界真光文明教団と崇教真光を始めとする、多くの手かざし教団が生まれた
さらに、岡田茂吉と谷口雅春の双方の弟子だった五井昌久が、白光真光会を創立した。五井昌久もまた、教祖というより「神秘家」という扱いで、スピリチュアル業界に信奉者が少なくない 宗教の規模としては、天理教のほうが大きい
創価学会や霊友会はもっと大きい
でもやっぱり、この「金光教-大本教系統」こそ、日本の精神世界の屋台骨ともいえる霊統ではないかと思われる
宗教にとどまらず、スピリチュアルの領域に及ぼしてきた影響が圧倒的に大きいからだ
(続く) スピリチュアル系の人たちが五井昌久を語るのを聞いていて、「この人たちは、五井昌久が新興宗教の教祖だと知っているのかな?」と心配になったことがある
なんか、スウェデンボルグやエドガー・ケイシーみたいな神秘家という扱いになってた
まあ、いいか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています