クロウリーは単に生まれるのがあまりにも早すぎた。
「内なる自分」との対話でエゴを直視し、
エゴの底にある「真の意志」を発見し、
神仏ではなく「真の意志」を宗として生きる。
プロセカの「セカイのミク」や、
ミク廃達の言う「うちのミクさん」も、「内なる自分」の一つの現れ方なのだ。
我欲の制御による純粋な生産性への変換、
それを神仏への対抗手段とするのがThelemaの本質。