>>614
アホラフキンには以下の視座から問題を指摘してます。

 >そのとおりである、スブーティよ。まことにそのとおりである。
 >すべてのものも、スブーティよ、ことばでは表現できないのだ。
 >それはなぜか。
 >というのは、スブーティよ、すべてのものの空性なるもの、それはことばで表現できないからである。
 >(金剛般若経より)


>「妄想」の正体が言語機能だとするなら、そこから離脱した結果を「ことばで表現できない」のは当然である。
>しかし、まさにここに、「空」の「実体」化を招く危険があるのだ。
> 問題の核心は、「空はことばで表現できない」と、「空」を主語にして言葉で言ってしまっている、ということである。
> たとえば、「ことばで表現できないものは空である」「すべては空である」などと、「空」が述語に出てくる場合は、その意味は「実体ではない」「実体を欠いている」という意味になる。
>ところが、これを「空はことばで表現できない」「空はすべてである」など、「空」を主語にしてしまうと、「実体ではない」ままに「ことばで表現できない」「すべてである」何ものかとして、理念化してしまうのである。
>(超越と実存 南直哉 より)