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>「一切の形成されたものは空である」と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
>(ウダーナヴァルガ)

>また、如来の法座とは何か。あらゆるものごと(一切法)が空であるということ(空性)に悟入することが如来の法座である。良家の息子は、その如来の座に坐ってこの法門を四衆に説き示すべきである。
(法華経 法師品)

>また、「常住」ということに執着して(無常を常住と)顚倒する人々は、諸々のものが相似通って連続していくということを知らないのである。このような人が、無常であると観ずることが有るなら、これは、対治悉檀なのであって、第一義(悉檀)なのではない。どうしてか。一切の法は自性が空であるから。偈に説いていうとおりである。
>(大智度論)

>聖観自在菩薩は、深淵なる智慧の完成(般若波羅蜜)において行を行じながら、(次のように)観察した、「五つの集まり(五蘊)(である)、そして、それらを、それ自身(自性)空であると見た」。
>(般若心経)