角川ソフィア文庫 仏教の思想 空の論理 中観 から


説一切有部は、自分でそうとはっきりとはいわないけれども、二種類の時間を考えていることはたしかである。
それは知覚の時間と思惟の時間である。あるいは現象の時間と本体の時間といってもよい。
猫というものも刹那滅的な存在であるから、一瞬一瞬に異なったものになりながら、また見えたり見えなかったりしながら続いてゆく。
その猫は生まれてくる前や、死んだ後には知覚されない。
それが知覚の、そして刹那滅的な現象の時間である。
しかし、生まれてくる前のその猫や死んだ後のその猫をわれわれは考えることができる。
その猫は、未来にも考えられ、現在にも考えられ、過去にも考えられる。
その意味で、猫は三世において存在する。
思惟の対象としての猫が猫の本体であり、猫の本体は三世(過去・現在・未来)にわたって永遠に存在する。