中論から

過ぎ去られつつある所にどうして過ぎ去る運動がありえようか。過ぎ去ることのない過ぎ去られつつある所などは考えられはしないのに。(二・三)
過ぎ去られつつある所に過ぎ行く運動があると考える人には、過ぎ去る運動なしに過ぎ去られるものがあるという不合理がつきまとう。
なぜなら、過ぎ去られつつあるものが過ぎ去られるのだから。(二・四)
過ぎ去られつつある所に過ぎ去ることがあるならば、二つの過ぎ去る運動があることになる。
過ぎ去られつつあるものをそうならしめている過ぎ去る運動と、そこに行なわれている過ぎ去る運動とである。(二・五)