新・からっぽ禅蔵

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ここに於いて森氏は、
「第一にあげられるのは、人間の本性の内容を虚無とするものである」
と述べる。

そして、虚無である人間の本性を失わせるものとしては「有」があり、これを排除すべきとする。

その排除すべき「有」として、

「五色・五味・五声などの感覚・喜怒哀楽の感情の対象となる富貴や名誉・人為の知識を増す学問・仁義礼知などの道徳」を挙げる。

これらを除き去ると、あとには何も残らない。結果、

(C)【人間の本性は虚無なのである】とし、『荘子』の外篇に属す天道篇の語として、
(D)【虚無恬淡(きょむてんたん)、寂漠無為(せきばくむい)】を挙げて言う。
  
「これは明らかに老子が説いた虚無を、そのまま人間の本性としたものであり、老子の影響を強く受けていることをしめす。

(E)荘子の内篇も、むろん虚無を説くが、しかしそれはすべてを受け入れるための空間であった。したがって老子の無のように、有を排除するものではなかった。