人は、普通は目に見えない神様を信じないですし、

愛と言ったら自己愛か、せいぜい家族愛までですよね。

神様を信じるということの大切さ、そして神様の愛の

存在を伝えるためには、御子が十字架にかからなければ

分からないということだと思います。

ゆえに私たちは罪深き存在であり、それは神様を信じる

ことで許されるものであると思います。