4.
「たとえ私が人間の異言や、御使あの異言で語っても、愛(神のご性質の愛)を持っていないなら、私は鳴り響く銅の鐘、あるいは、かん高い音を出すシンバルとなったのです。
また、たとえ私が預言を持っていて、すべての知識をわきまえていても、また、たとえ私が山を動かすほどのすべての信仰を持っていても、愛(神のご性質の愛)をもっていないなら、私は何でもありません。
また、たとえ私が持っているものをすべて食べさせるために与えても、また、たとえ私が焼かれるために私のからだを渡しても(神のご性質の愛)を持っていないなら、私は何の益も受けていません」(第一コリント13:1〜3)

聖書は、たとえ御霊のすべての賜物が私たちを通して現されたとしても、神の愛がなければ、それは私たちに何の益にもならないと言っています!
それは全く無となってしまうのです。
そのことをよく考えてみてください。
たとえ私たちがあらゆる奥義を理解し、あらゆる知識とあらゆる信仰を持っていたとしても、私たちの内に神の愛が働いておらず、私たちを通してそれが流れ出ていないなら、私たちには何の益にもならないのです!
貧しい人々に施すことも、自己犠牲も、もし私たちが愛という動機で行なっていないなら、無なのです。

続く[928)

オチ